2013年7月22日(月)〜23日(火)
瞽女について
江戸時代はじめ、藩政の盲人救済事業として「瞽女」制度が始まり、全国に五派の流れがあったといわれる。高田瞽女は、そのうちの「播磨派」に属し、かつては高田市内に十数軒の「瞽女屋敷」があり、それらが組合としての座をもっていた。瞽女(ごぜ)盲目の女旅芸人である。
瞽女は一年は、旅に明け旅に暮れる。二月から大晦日まで、組ごとにわかれた瞽女は越後の山村にある「瞽女宿」を訪ねつづける。瞽女宿は普通の農家であった。村から村へ三味線を弾き、祭文松坂を唄い、ときには地方のニュースまでたずさえて渡り歩いたさすらい人である。