2013年5月28日(火)〜6月2日(日)
僕らの持っている「声」はメディアだ。
声が発する内容のことではない。
その響きがメディアとして機能する
「わー」とか「ぎゃ」とか、「うぇ」とか、
意味として認められないような、文字にもできないようなその響きが、
時として「意味」以上に、僕らの身体に深く浸透してしまうことがある。
昨年、福島(といってもいわき市のしかも限られた地域だ)で、
いろいろな人に話を聞いたときに、
聞きたかったのは、多分その響きだった。
それさえ聞くことができれば、もしかしたら「震災」についてなど、
聞けなくてもよかったのかもしれない。
その響きに、そしてその響きが聞き手の身体に浸透していくことに、僕は希望を感じる。
時間を経て残るのは文字に変換できる「意味」であり、
響きはすぐに空気に溶けて消えてしまう。
けれども、僕は声のその響きの中に、
「未来」のようなものを見出したいと思う。
今回、福島で得た言葉を使うだろう。
けれども、舞台上に響くのは、
福島も東京も関係のない、僕らについての「声」だ。