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「対立ではなく、協働するために」フェミニズムを通じて升味加耀が描く希望ーーSTミーツ#06 果てとチーク升味加耀インタビュー

2025年11月23日(日)16:19STスポット


劇団「果てとチーク」を共同主宰する升味加耀(ますみかよ)さんは、これまで、演出家・劇作家として、フェミニズムやジェンダー、セクシュアリティといったテーマで作品をつくってきた人物。岸田國士戯曲賞はじめ、さまざまな戯曲賞の最終候補作にノミネートされてきた升味さんは、しかし、いまその「届かなさ」にもやもやを抱えているそうです。

では、その「届けたいもの」とは何か? 2025年12月にSTスポットで、2026年1月には下北沢で上演される最新作『だくだくと、』への思いとともに、升味さんの創作における背景を伺いました。

取材・文:萩原雄太


「賛」の人に届いていない

──升味さんは、10年にわたってフェミニズムを作品のテーマとして取り扱っています。社会でもフェミニズムに対する位置付けは徐々に変わりつつありますが、だんだんと自分の考えが届いているような感覚もあるのでしょうか?

なかなか難しいですね……。たとえば、女子校を舞台にミス・ミスターコンの中止を描いた『はやくぜんぶおわってしまえ』などは、60分間の小さな作品で、とてもわかりやすくフェミニズムの問題やマイノリティとマジョリティのあり方について描く作品でした。

他の作品でも、ジェンダーの問題に対してまったく興味がなかった人にも、とりあえず知るきっかけになってほしいと思いながら書いているから、「ここに違和感があります」「相手が傷つく言動です」と、何が問題であるかをわかりやすくセリフや行為で指し示してきました。でも、そのような作品を作りフェミニズムについて発信をしていても、なかなか届かないというのが現実だと思います。

──「届かない」とは、升味さんのジェンダー・フェミニズムに対する考え方が拒否されてしまうということ?

いえ。もちろん、拒否されることもありますが、わたしが「届いていない」と感じるのは、むしろ賛意を示してくれる人。わたしたちの作品を見て、「感動した」「自分について顧みたい」ということを伝えてくれる人が、劇場を出ると、差別的な言動やマイクロアグレッションをしてしまう。もちろん、1回演劇作品に触れただけで、変えられる価値観は限定的なのですが……。

──賛否の「否」の人に対してではなく、「賛」の人にこそ、むしろ届かなさを感じているんですね。

とはいえ、劇場の外に出ればそれが当たり前の世界が広がっています。一般的な会社で出会う多くの人は、例えば、フェミニズムの知識についても、パレスチナで何が起こっているかについても、ほとんど知らない人ばかりです。とはいえ、彼らは決して「悪い人」ではなく、普通にとてもいい人だし、毎日生活や子育て、労働に追われているから、自分との関係が見えづらい知識を得るような時間がないんだと思います。

だから、いまはそのような人たちが、どうしたら社会の構造を見つめたり、それに対して違和感を覚えはじめるのかに興味があります。そのような、ジェンダーやマイノリティの問題に対して、意識的ではない人の話を書きたい気持ちがありますね。

──「届かない」という違和感は、升味さん自身がより広い現実社会に向けて届けたいと考えるようになったから生まれるものかもしれませんね。ところで、升味さんはいつ頃からジェンダー・フェミニズムの思想に触発されるようになったのでしょうか?

2015年、大学に入り3年生の頃、フェミニズムについて学び始めました。当時はまだ#MeTooの前であり、今ほどは身近なものではなかったと思います。

大学では法学部に在籍していたのですが、当時は強姦罪と呼ばれていた不同意性交等罪について学んでいたときに、強い違和感を覚えました。被害者は女性なのに、夜道を歩いていたのか、服装はどうだったのか、職業はどうだったか、と、あたかも女性に非があるかのようにその行動が審議されている。そこから、どうして女性はこのように扱われているのだろう? という疑問からフェミニズムに興味を持ちました。

それと、もうひとつが大学に進学しての環境の変化。わたし自身、ノンバイナリーとして性別違和は抱えていたのですが、中高とも女子校だったので「女子」としての扱いを受けることはなかった。しかし、共学の大学に進学することで、男女で扱われ方に差があることに気づきます。リーダーになることは望まれなかったり、無償のケアワークを求められたり……。女性というだけで期待されている振る舞い方があるんですよね。演劇でも、「女性ならでは」という評価を受けることがありました。

──女性ならでは……。今となっては違和感しかありませんが、10年前は珍しい言葉ではなかったですね。

大学に進学し、わたしが持つ情報としていちばん前に出てくるのは女性であるこの身体であるという現実に直面しました。いったい、この違和感をどうしたら言語化できるのか……? そう考えていたときに出会ったのがフェミニズムだったんです。


「はやくぜんぶおわってしまえ」(2024年/撮影:上野哲太郎)
変わりつつある観客の反応

──しかし、演劇でフェミニズムを表現することに対して、恐怖心はなかったのでしょうか?

当時は、フェミニズム自体がほとんど注目を集めていなかったので、あまりなかったです。むしろ、今のほうがバックラッシュ的なものを警戒しているかもしれません。

はじめてフェミニズムという題材に向き合ったのが、2015年につくった『害悪』という作品。エウリピデスの『トロイアの女たち』を下敷きにしたこの作品では、第三次世界大戦が勃発した世界を背景に、家族からの性暴力や、家父長制を強く内包した戦争の狂気に翻弄される女性たちを描いていました。しかし、当時、大学演劇に集う観客には男性が多く、中高年も珍しくなかった。環境的には、あまり受け入れられなさそうなトピックですが、多くの人が好意的に見てくれました。

──それは、女性性に対する升味さんの違和感が受け入れられたということ?

いえ。「SF」として作品を見た人と、女性の客体化や失敗したケアという「フェミニズム」作品として見た人とで、感じ方がまったく違っていましたね。性別でカテゴライズするのは乱暴ですが、前者は主に男性による感想。一方、後者に注目したのは女性やクィアが多かったですね。

──「好意的なコメント」と言っても、どこに着目するかによってその感想は大きく違ってくるんですね。

はい。ただ、この作品に対するリアクションは少しずつ変わってきています。実は、『害悪』は、2021年と2024年にも再演しているのですが、だんだんとリアクションの性差がなくなり、フェミニズムについて注目をする声が大きくなっています。もちろん作品が変わった部分もあると思いますが、きっと、お客さんの側にも、受け止める土壌みたいなものが生まれてきているんでしょうね。

──世の中の視点がアップデートされているのかもしれませんね。升味さん自身も、ジェンダー・フェミニズムについて学び、新たな視点を獲得することで描く内容も変わるのでしょうか?

それは大きくありますね。一番最初にフェミニズムについて学んだ時は、攻撃的な考え方をしていたと思います。男性は最初から特権を持って生まれてきているのであり、特権を持っていない女性やクィアの立場を向上することに協力すべき、というような。

でも、その発想では対話は生まれないし、「特権を持ってる」と言い立てるのは脅迫的ですよね。そのような脅迫が生み出す分断は、どちらの性にとっても健康的なものではありません。女性やクィアにおのおのの苦しみがあるのと同様に、男性には男性の苦しみがあります。わたしたちが憎むべきは、男女という二項対立ではなく社会全体の構造なんです。

わたしは、二項対立や分断を煽るような表現じゃなく、背後にある構造の問題を指摘しながら「協働しませんか?」というメッセージを出していきたい。フェミニズムを学びながら、そんな発想を作品に反映させたいと思うようになっていきました。そもそも、多くの人々が一箇所に集まる劇場は、分断よりも対話が尊重される場所であるはずです。

升味加耀さん
「一緒に考えられる場所」としての劇場

──今作『だくだくと、』は、アメリカ合衆国の劇作家であるアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』(1953年)をベースに、映画会社での会議を描く物語です。『るつぼ』は魔女狩りをテーマにした作品ですが、いったい、どのような作品になるのでしょうか?

いま、排外主義やポピュリズムの熱狂について興味があり、集団が熱狂し、暴走するようなさまを描きたいと考えています。極右ポピュリストたちの考え方には「同一」という発想で集団を作り、それ以外の人々を排除しますよね。

これまで、そのような極右的な思想は、SNSでこそ多く目にするものの、現実世界のなかで見かけることは極めて稀でした。しかし、近年、そのような思想が一般化しはじめ、クルド人や中国人をはじめとする「同じではない人」に対する差別やヘイトが増えています。そのような状況は、『るつぼ』が描く魔女狩りに似ているし、それが生み出す集団性について考えてみたいと思ったんです。

──排外主義は、これまで扱ってきたジェンダーやフェミニズムの問題とはどのように重なりますか?

どのような集団でも、人間が形成する集団は排他的になり先鋭化してしまいやすい。「この主張を通すことが、人権よりも大事」「主張を通すためなら、誰かが傷ついてもかまわない」といった態度を取った瞬間に、コミュニティは排他性を帯び、犠牲者が生まれます。フェミニズムをはじめとするマイノリティの運動は、長年にわたってそのような排他性を乗り越えてきました。フェミニズムの歴史を見ると、それは人間が持つ排他性を克服する歴史でもあります。

──マイノリティであるからこそ集団としてまとまらなければならない。しかし、それと同時に、集団主義による排除を乗り越えなければならない。たしかにそれは、昨今の排外主義に抗うためにも参考になりますね。
 ところで、升味さんは演劇を通じて、常に社会的な課題を取り扱っています。より直接的なアクティビズムなどの方法も考えられるなか、なぜ、演劇という手段を用いているのでしょうか?

そうですね……。たとえば、演劇創作に使われているお金を寄付したら、もしかしたらより有効に使えるのではないか、と迷うこともあります。けれども、ひとつの問題と向き合うためには、いろいろなレイヤーがあっていい。直接的なアクティビズムだけでなく、観客と空気を共有し、影響を与え合いながら、濃い関係性で伝えられるのは演劇が持つひとつの魅力です。その濃い関係から、フェミニズムをはじめとする社会問題について一緒に考えられる場を作れるのではないか。アフタートークに研究者やジャーナリストなどをお呼びするのも、そのような場を作りたいからです。

そのように活動をしていたら、最近、だんだんと観客層も変化してきました。わたしたちの作品を見に来る人は、普段あまり演劇を見ない人も多いんです。観劇のみが目的ではなく、社会課題について「一緒に考えたい」という人が増えていますね。

──普段、演劇を見ない人も「一緒に考えられる場所」として、劇場に足を運ぶようになっているんですね。では、升味さんは今後、自らの活動を通じてどのような未来を実現したいでしょうか?

現在考えているのが、舞台作品の上演のみならず、劇場の外にも積極的に広げていくこと。マイノリティを扱う作品であれば、当事者団体と協力しながら理解を促進するなど、劇場の外にリーチしていけるようなかたちを考えたいですね。

また自分自身、ノンバイナリーという、なかなか社会的に扱われにくい性自認を持っているため、そのような周縁化された人々の声を舞台上で表現していきたいという気持ちもあります。そうして、より多くの人々が、さまざまな社会問題に対してコミットできるかたちを探っていきたいと思います。

「害悪」(2024年/撮影:上野哲太郎)

取材日:2025年10月11日(土)、zoomにて


【公演情報】

果てとチーク第九回本公演『だくだくと、』
作・演出 升味加耀
[横浜公演]2025年12月11日(木)-14日(日)@STスポット
[東京公演]2026年1月15日(木)-18日(日)@シアター711
公演詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=14197

升味加耀(ますみ・かよ)
2016年 ベルリンにて果てとチークを旗揚げ。以降、全ユニット作品の劇作・演出を担当。19年『害悪』で令北海道戯曲賞最終候補、23年『はやくぜんぶおわってしまえ』で劇作家協会新人戯曲賞最終候補、24年『くらいところからくるばけものはあかるくてみえない』で岸田國士戯曲賞最終候補に選出される。非現実的で極端な設定と、ポップでドライな会話を用い、透明化された差別や断絶を、登場人物の葛藤、ショッキングな結末を通して活写する。

STミーツとは:STスポットで公演を行う若手アーティストにフォーカスしてお届けするインタビューシリーズです
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