2025年7月22日(火)11:00STスポット
「声の小さな会話劇ではない、もっと広い空間でも通用する演技体や文体を探りたい」
迂回スケープに参加するにあたり、劇作家・演出家の中村大地さんはそう語っていました。
これまでも、上演される空間とパフォーマンスの関係について継続的に考えを深めてきた中村さん。今回、その思考をより前に進めるべく、舞台美術家の佐々木文美さんにお話を伺ってみることにしました。小さなギャラリーからプロセニアムの大劇場、屋外のツアーパフォーマンスまで、さまざまな演出家と組んで空間設計をされてきた佐々木さんに、その発想と方法論がどうなっているのか、ずっと訊いてみたかったそうです。
舞台美術はセノグラフィー(Scenography)とも呼ばれ、シーン(Scene)+グラフィック(Graphic)という語源からもわかるとおり、場と人間の知覚を結びつける営みでもあります。
見えない壁によって「あちら側」と「こちら側」の分断が深まりつつある昨今、このばらばらになった世界をどうやって縫合したらいいのか。現代を生きる私たちにとっても、舞台美術的な思考は今後ますます重要になってくるでしょう。
舞台と客席が地続きであることにこだわってきた中村さんと、「舞台美術家がモノを置かなくても景色は立ちあげられる」と語る佐々木さん。舞台美術を巡って展開したふたりの対話は、空間を共有することの意味や、他者と居合わせることのリアリティを考えるヒントを私たちに与えてくれるはずです。

左から中村大地、佐々木文美
中村
屋根裏ハイツはある時期から部屋のリビングを舞台にした声の小さい会話劇をするようになりました。そこから客席との関係を考えてきたので、できるだけ舞台と客席は地続きでありたいと思っています。そもそも、小劇場だと舞台と客席を区切りようがないですし。
ただ、自分たちの次の展開を考えたとき、たとえばもう少し大きな劇場のプロセニアムのルールの中で上演するとなると、地続きじゃないし分離されてるし、どうやって空間を設定していったらいいのか。それがよくわからなくて壁にぶつかっているところです。
劇場ではない既存の空間の強さをどう使うか、どう活かすかみたいなことは考えられるんですけど、そこにもうひとつ仮設の美術を建てていくときに、実際に美術家とどうやって関係を築いていくのがいいのかがあんまりピンときてなくて。
今日は文美さんに、そのあたりの距離感を普段どう考えてるのかを聞いてみたいです。
佐々木
屋根裏ハイツが小さな声の会話劇をされるようになったのは何か理由があったんですか?
中村
別に小さい声にこだわっているわけではなく、その空間に対してちょうどいい声みたいな感覚なんですね。
元々、屋根裏ハイツはせんだい演劇工房10-BOX box-1という仙台の劇場を拠点に活動していました。そこは平土間の空間で80席ぐらいのキャパなんですが、ある作品のリハーサルをもっと狭い10畳くらいの空間でしていたんです。で、劇場に入ってみたら稽古のときよりも俳優の声が小さく感じたので、声を大きくしてもらったら、芝居が全然よくなくなってしまったということがあった。
そこで逆にその10畳間の空間でやってきたことをそのまま舞台上でやってみようということにしました。そしたら意外と最後列まで声が聞こえるし、観客もむしろ集中するなってことに気がついて、そこが小さい声の演劇のはじまりです。だからもしライブハウスで始めていたら声が大きかっただろうと思います。
今回、迂回スケープに参加しませんかと相談されたときに、もっと広い空間でも適用できる演技や身体があるような気がして、それを試しています。
とはいえ、大きな空間を想定するといったときに、リビングをそのまま大きくするのも違うし、上演する空間の大きさに合わせて舞台設定を美術館のロビーみたいな場所にするのもしっくりこない。それ以外の選択肢ってないのかなということをいま考えているところです。
佐々木
「いろいろと共感できるところがあるなあ」と思いながらお話を聞いていたんですが、地続きっていうのはどうしてこだわるようになったんですか?
中村
舞台と客席を地続きにしはじめた頃は、「こんな小さい空間なのに客席を無視して演技しているのがなんか嫌だな」みたいな感覚がありました。「観客がいるんだからいるって扱ってほしいな」みたいな。その方がフィクションとして信じられると思っていました。
2010年に大学の進学を機に仙台に引っ越して、部活で演劇を始めたのですが、仙台では現代口語の演劇を観る機会がなかったのも大きいかと思います。
あと、せんだいメディアテークで東北の伝承民話の記録活動の展示を見たことがあって、その影響もあります。囲炉裏端で誰かに語って聞かせる、語り手と聞き手が同じ地平にいて、そこからフィクションが始まるみたいな。それってある種、物語の理想形だなと思ったりもして、そういう意識でやっていました。
佐々木
とはいえ、客席の後ろとはある程度、距離ができますよね。
中村
落語の名人が客席で一番良い聞き手を舞台上から一人つかまえて、そこから伝播させていくみたいな話を聞いたことがあって、そういうイメージを持っています。一列目が地続きならだんだん広げていけるみたいな。
でも、コロナ禍で客席と舞台に2m間隔をあけなきゃいけなくなったときに、全然地続きにならなくて、結構離れてるなと感じてしまって。それが多分、だんだんその考えが崩れてきた最初のきっかけですね。
コロナ前は舞台に敷いたパンチカーペットを客席の最前までそのまま流す、そしたらなんとなく続いて見えるみたいなことをやっていて、それを同じようにやったら、ただただ2m余分な空白地帯が生まれてしまった。当時はコロナ禍もいつまで続くかわからなかったし、「これはしばらく無理かもしれない」と思いました。
佐々木
わたしも所属している快快の公演のときに美術の角度の問題で客席を離して、メンバーから客席が遠いと散々言われたことがありました。でもプロセニアムの舞台でも、言ってしまえば同じ部屋の中じゃないですか。額縁だからそう感じるっていうのは当然あると思うんですけど、なんでそんな分断されてるって思うんだろうなって自分も含めて不思議に思いました。
中村
たしかに。人が小さくなるからですかね。
ぼくは演出として客席の明かりを消すのを渋ったりするんですよ。でも一方で劇作家としての作風的には、最終的に暗くなっていた方がお客さんは集中しやすいだろうっていうのもあります。
佐々木
今回、中村さんの作品をいくつか映像で拝見して、声の大きさもそうですし、描かれている人間のスケール感が生活圏というか日常に近いものを表現されているなと感じました。人間の大きさはどうしても変えられないじゃないですか。それあわせにどうしてもなってしまうというか。演劇ってやっぱり人間が出てきますから。
中村
観客の側がそれをどこから見るかとかもけっこう関係しますよね。没入体験っていうか。たぶん一列目で見てたら、人間の方にかなり意識を持っていかれるだろうし。
佐々木
たしかに。前の席の人は役者を見たい人で、後ろの席の人は空間も含めて見たい人なんだろうなって私は思っています。
中村
それって、たとえば後ろで見ることを想定するとか、そういう設計をすることはあるんですか。
佐々木
作品によるんですけど、劇の中に仲間みたいな感じで参加してほしいときは、なるべく客席が2列ぐらいで済むようにするとかはあります。冷静な眼差しで見てほしいときは逆に遠くからとか。
中村
それはたとえばどういう劇なんですか。
佐々木
それこそ快快だったら、「みんな友達」みたいな。客席の人たちも、ホームパーティーみたいなノリで内輪にとりこんでいくみたいな感じです。でも最近はメンバーの年齢があがってきたので、ちょっと尊敬されたいみたいな気持ちがあって(笑)。
「コーリングユー」[*1]という作品のときは、プロセニアムの空間じゃないけどプロセニアムに設定したいっていうオーダーがあって。あのときはけっこう頑張りました、どうすればいいんだろうって。
中村
「コーリングユー」は、ストーリー的な展開があるわけではないからパフォーマンスの自由度が高いというのも関係する気がしますけど、すごい空間でしたよね。
佐々木
俳優が三人しか出てないんですけど、広く見せたいし、でも三人しかいないから動きすぎると疲れるし。工夫したのは、俳優にとっては狭くて観客にとっては広く見えるみたいな。自由だけど不自由な空間。
中村
見ていて演技エリアを狭いとは思わなかったですけど、実は狭かったんですね。俳優さんは大変そうでしたけど。
佐々木
「もう体力ないよ」って言われて(笑)。快快は若いってイメージでやってた時期もあるけど、たくさん動き回るみたいなのはちょっともうできないなって。
中村
文美さんは台本に書かれた空間よりも上演される劇場のサイズの方が大きいときってどうしてますか? 「これだと空間、埋まらないけど…」みたいになることってないですか。
佐々木
それは埋まらなくても大丈夫。すごくささやかな四畳半の世界を大きな劇場でやると、それはそれでけっこうスケールが大きく見えることがあるので。宇宙に四畳半が浮かんでいるみたいな。逆にそのギャップを使うのもありなんじゃないですかね。

快快『コーリングユー』(2022年/神奈川芸術劇場大スタジオ)撮影:加藤和也
*1 「快快 – FAIFAI – コーリングユー(Calling You) 4K固定映像」https://www.youtube.com/watch?v=dDuV5NudyAo
2 美術を使いつくす
佐々木
中村さんは、たとえば部屋のシーンを書いてるときは、頭の中では部屋をイメージしてるんですか? それとも上演される空間の状態をイメージしてます?
中村
上演の状態はイメージしてないですね。部屋だったらリビングの情景が浮かんでいるわけではないですけど、出口はどこで、隣にキッチンがあってとかは考えてます。
ただ、どこに誰が座ってるかまでは気にしてないですね。
そこからとりあえず俳優が動きやすいように机をひとつ置いてみるって感じで稽古に入ります。
せんがわ劇場で上演した「未来が立ってる」[*2]だったら、アパートの内見というシチュエーションなので、舞台の真ん中に四角く平台を置くことだけ最初に決めて、それ以外の空間をどうするかは稽古をしながら調整していきました。「玄関はやっぱり曲がってることにしましょう」とか。
あと、ぼくの場合は、台本を立ちあげていくときに俳優の立ち位置は決めないことが多いです。
「未来が立ってる」では、出演者が自発的に決めていくことが多かったかもしれません。四角のエリアに乗ったときにどんな効果が出るかとか、逆に乗らなかったらどうなるかとか。そのさじ加減は俳優たちが話しあって決めていました。
佐々木
シンプルなルールがひとつあると、そういうことができていいですよね。
たまにルールが曖昧に見えるときがあって、そこが楽しめました。ルールがシンプルなだけに逸脱しやすいじゃないですか。いちおう寄り添いやすい、優しめのルールというか。
中村
たしかに後半でルールを壊すために、前半はあえてがんじがらめにしておいたみたいな感覚はありました。
佐々木
特に印象的だったのが、中盤で未来人が出てくるじゃないですか。登場の仕方がなんかもう、ちょっと「あれ?」って思って。わたし、もう一回巻き戻して見ましたもん。「あれ、どうだったっけ?」みたいな。あまりにも衝撃的で(笑)。
中村
そうですね。演じてくれたhonninmanのキャラクターによるものでもあるんですけど、たしかに(笑)。
あとはアゴラ劇場で上演した「すみつくす」の場合だと、舞台上で実際に食べ物をみんなで食べなきゃいけないとか、お酒をおかわりしなきゃいけないとか、かなりルールが細かくあったので、どうしても自動的に俳優の動きが決まってきてしまう部分はありました。
だけど、もはやそれは演出が管理できることでもないんですよね。このタイミングで唐揚げを食べておかないと、あとあと口の中に残った状態でセリフを言わなきゃいけないみたいなことなので。
佐々木
「すみつくす」は平台とか劇場の備品を多く使っていましたけど、あれはどうやって決まっていったんですか?
中村
あの作品は、空間設計をiii architectsにお願いしました。
美術家に依頼するときに、「こういう空間がいいです」ってぼくから言えないんですよね。
当時は、劇場の壁とか床とかふだんはふれないものにもさわって、机とかも動かせるようにして、それによって空間の定義をどんどん変えていきたいみたいなことを相談しました。
たとえば、パイプ椅子とか、手にさわれるものだったらそれをどう使うかは想像ができるけど、スケールがもっと大きいものをその延長で考えられたらぼくも美術のことが考えられるんじゃないかと思って。
最初は単管パイプを組んで美術にしようとしてたんですけど、予算などのいくつかの理由で劇場にある箱馬をそのまま使おうということになりました。最終的に美術をラップで巻くっていう提案がでてきて、ああいったかたちに着地しました。全然、想像ができなかったんですけど、結果的にめっちゃキレイだったからいいかみたいな。
なので、舞台美術としては箱馬や平台とか木目調のものを使っていて、一方で小道具は炊飯器とか生活空間のリアルなものがあるとどうしてもそこに段差が生まれてしまいました。それらを同じようなものとして扱うことに対して、これでよかったのかなっていう思いはすこしあります。
その段差みたいなものをなだらかにしていくことをもっと意識的にやれれば、空間との付きあい方をぼくも考えられるようになるんじゃないかと思っているんですが。
佐々木
中村さんはすでに考えられていると思いますよ。
「ナイト・オン・アース」[*3][*4]なんかも見ていて、すごいなって思ったんですよ。モノの使い方というか、空間の逸脱の仕方が。それ以上のことをやりたいということなんでしょうか?
中村
「すみつくす」はモノがありすぎて不自由に見えたんですよ。具体的なモノが多すぎてしまって、「ちゃんと観客に想像を委ねられていたかな?」みたいな。
とはいえ、この作品ではどうしても舞台上でご飯を炊きたかったので、そこからモノのリアリティが全部決まっていったところがあります。なので、納得はしているんですが、置かなくてもいいモノも足していった結果、見る側の視野が狭まってしまったんじゃないかみたいな反省があります。もっとルーズにやれた方が、観客も、出演者も良かったのではないかと。
佐々木
なるほど。モノの形だけあるっていうことは、違う使い方もできるんじゃないかなということは思いました。テーブルがテーブル以外の使われ方をするみたいな。「すみつくす」ってタイトルだし、セットも使いつくされた方がきっと嬉しいんだろうなっていう感じがしたので。そういうカタチの連想ゲームっていうのができると、おもしろそうですね。
中村
そうですね。
城崎で滞在制作をしていたんですが、そのときはまだ最終的な空間をどうするかが決まっていなかったので、その場所にあった折りたたみベッドを棺やソファーに見立てて創作していました。
でもそれだと、ベッドというモノの記号が強すぎて、何でもない場面で消すことができなくて。それがあまり作品とマッチしていなかったので、最終的に抽象的な美術になっていきました。
そういう仕掛けってどうしたらいいんですかね。それはたぶん稽古場でどう使うかみたいな話になってくると思うんですが。
このときは小屋入りまで実際のモノは使えなかったので、小道具を持ち運んでいるトランクを机に代用するなどして稽古をしていました。
当初は、モノを違った使い方しようという目標を立ててはいたんですけど、それをトライする機会がなかなかなくて、本番にそのまま突入みたいな状況でしたね。
小屋入りしてからは俳優さんたちのおかげでいろいろ遊べるところは増えたなって感じましたけど。
佐々木
たしかに準備できるタイミングがギリギリっていうのは大変ですよね。
中村
ぼくの戯曲も日常の延長みたいな世界を描いているから、どうしてもそういうモノを使いつくす的なモードになかなかならないのかなと勝手に思っていたんですけど、お話をしていてそうでもないのかもしれないなと感じました。

屋根裏ハイツ『すみつくす』(2023年/こまばアゴラ劇場)撮影:本藤太郎
*2 「『未来が立ってる』(2024)@せんがわ劇場」https://youtu.be/PjJcnWZaihw?si=l5r9rjwNKI6yMDG9
*3 「ナイト・オン・アース(テアトロコントVol.53)」https://www.youtube.com/watch?v=KK_fj8kJHIo
*4 「ナイト・オン・アース(remix)/ Night on Earth」https://www.youtube.com/watch?v=ycclRjCMHyY&t=480s
3 景色をゆっくりと立ちあげるには
佐々木
ご自身の台本じゃないときはどこから演出を考えはじめるんですか?
中村
STスポットで上演した松田正隆さんの「父の死と夜ノ森」は、そもそも描かれている空間の縮尺がSTスポットには収まりませんでした。それをまずなんとかしなきゃいけないというので、飛躍がしやすかったです。
ぼくの場合は台本を日常の側から書き始めるので、飛躍がしづらいんですね。上演される空間の縮尺で再現可能なことを書いている。
能登演劇堂展示ホールで上演した「能登版・銀河鉄道の夜」でも、当然、鉄道の車両は入りきらない。そこでこのときは台本を全部自分で書きなおして、車掌が6人出てきて電車ごっこをするみたいなところから始めるようにしました。
自分の戯曲だと飛躍しないでやれる範囲でずっとやろうとしていて、「すみつくす」だと多分それが本当はすこししなきゃいけなかったんですよね。場面も時間も人物も移り変わるから。そこのジャンプをエイって捻りだす部分が必要だったっていう気がしています。
美術って、想像力をかきたてる、さらに外側を設計するみたいなデフォルトをつくるじゃないですか。
お客さんが劇場に入ってきたときの空間をしつらえる。それをどう考えたらいいんだろうっていうのがわからないんですよね。
これって美術家にどうオファーするのがいいのかなという話でもあるんです。「予算はこれだけです、パイプ椅子しか使えません」といった状況でどういう関係性を築いていけばいいのかみたいな。
佐々木
どのポイントで空間が立ちあがるかとか、どういった感じで景色が立ちあがっていくのかっていうのを設計することはできると思うんですよ。こういうシチュエーションなんだってお客さんにまずなじませてから俳優が出てくるのがいいのか、それとも劇の中盤ぐらいに景色がゆっくり立ちあがっていくのがいいのかみたいな。わたしはそれを一緒に考えていくことができたときに有意義というか、いい関係をつくれたなという感じがあります。
中村
その「後半の方に空間が立ちあがってくる」みたいなことをしたいときに、どうコミュニケーションすると通じるのかということが気になります。それはどんなふうに考えていったとか、どんなモノを最終的に置いたとかありますか?
佐々木
これは自分が関わった公演ではないですけど、新聞家の公演を観に行ったときのことが強く印象に残っています。
新聞家って俳優さんがたくさん喋るんですね。テキストが前に出てる。それでぼんやり見てたら、劇の終盤でだんだん景色が立ちあがってきたことがありました。そのときのわたしの体験は、なにか具体的なモノが動くというよりは自分の経験の慣れと、聞こえてくるセリフに耳を傾けている時間の積み重ねで立ちあがってきたなと思って。この体験ってすごくいいなと思うんです。
それはモノでもできると思いますけど、べつに舞台美術家の人がモノを置かなくてもいいじゃないですか。なにもない空間であったとしても、それで景色を立ちあげることができるといいですよね。
あとは、どこで観客とパフォーマンスの契約を結ぶかというのも考えます。はじめてお客さんが劇のルールがわかったってなって没頭する地点というか、それをどこにするかはわたしとしては空間を考えるうえでとても大事です。
中村
その地点っていうのは戯曲を読んで考えるんですか?
佐々木
戯曲って言葉の細道じゃないですか。声もそうですし、一音ずつしか出せない。でも空間はそうじゃないので、いろんな悩みとか単語を頭の中に泳がせておいて、筋道を立てずに「これだ!」みたいな感じでやっています。
中村
ぼくはめっちゃテキスト人間なんですよ。
テキストという一本道の中でそれをどうずらすのかっていうのを考えてしまう。
空間とか俳優の配置も自分が諦めた方がうまくいくことが多い。自分としては放りなげたい、お任せしますみたいに最終的にはしたいけど、美術家に対してその投げ方がよくわからない。俳優との関係は長く積み重ねてきたからわかる部分もあると思うんですけど、そこまでのやりとりをどう重ねていくかみたいなことなんだと思うんですよね。
佐々木
初めて一緒にやるときは大変ですよね。
中村
何語を喋ってるかみたいな話からじゃないですか。
佐々木
言葉の領域が人によって全然違うから。たとえば赤色でってオーダーがあったときに青を提案してもいい人と絶対に赤じゃなきゃいけない人と、さらに細かい人もいるから難しい。
中村
これまでに演出家から言われて困ったオーダーってありました?
佐々木
いつも困ってます(笑)。それは嫌な困り方じゃなくて、考えるきっかけがそこにあるみたいな感じですね。
でも無視したりもする。無視して、「言ったじゃん」って言われる方が多いです(笑)。違うって言われたら、「この人の言葉の領域はだいたいこのぐらいかな」みたいに判断しています。
中村
その探っていく感じ、俳優に対しても同じですね。
これまでぼくは舞台と客席を地続きにすることにこだわって演劇をつくってきて、それがいまこういうことに興味を持ちだすっていうのは、別に地続きじゃなくてもフィクションは見出せるし、「そんなにこだわらなくてもよかったのかもしれない」みたいなフェーズなんだと思うんです。多分いま移行してる時期なのかなと思っています。
舞台美術についての疑問を率直に聞くことができてとても貴重な時間になりました。本日はどうもありがとうございました。
佐々木
こちらこそありがとうございました。
佐々木文美
1983年生まれ、鹿児島県出身。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒。 セノグラファーで快快(FAIFAI)メンバー。 演劇、ダンス、音楽、展示などに舞台美術、セノグラフィーとして参加したり、企画も稀にする。 ホームパーティーをするのが好き。 http://sasasakiayami.info