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なぜ、継承を欲望するのか――「継承を欲望する」ワークショップレポート(テヅカアヤノ)|2024年3月

2024年3月07日(木)15:32レポート

2009年に『アントン、猫、クリ』が初演されてから今年で15年が経つ。いま作者である篠田千明は、STスポットでも上演された本作のスコア化を目指して動き出している。
今回、STスポットでは、その篠田による「演劇をスコア化する」ワークショップを2月に開催した。講師には篠田と、ダンサー・振付家である神村恵、作曲家の安野太郎も加わり、当日は6時間にわたって参加者たちと濃密な時間を過ごした。
本記事ではワークショップの模様と、そこで何が扱われた/扱われなかったのかをレポートする。
ライターは「TeXi’s」主宰のテヅカアヤノさんです。


「なぜ、継承を欲望するのか」

文:テヅカアヤノ(TeXi’s)


2024年2月3日、「継承を欲望するーー『アントン、猫、クリ』のメソッドはスコア化できるのか」と題された演劇ワークショップ+レクチャーに参加した。
講師を務めたのは、篠田千明(演劇作家・演出家・観光ガイド)、神村恵(ダンサー・振付家)、安野太郎(作曲家)の3名である。

このワークショップでは『アントン、猫、クリ』という作品のクリエーションのためのメソッドをスコア化することで100年後も作品が上演されるという、「継承を欲望する」ことが掲げられていた。

私は、メソッドのスコア化に強い興味があり参加することを決めた。
日本の小劇場には、劇作と演出を兼ねている作り手が多い。そのため、戯曲を用いることを前提とした創作では、新たなメソッドの開発が戯曲の制約を受けてしまうことになる。
私自身も、書いた戯曲を上演するためだけの限定的なルールにとどまり、他の作品や、その稽古場にいなかった人とメソッドを共有するのが難しく感じることが多々ある。
基盤となるルールであり、共通するメソッド(方法)までは手が届かないのだ。
よって、まずメソッドの開発自体が難しいと考えている。

一方、『アントン、猫、クリ』には、そもそも戯曲が存在しない。ならば、メソッドのスコア化は他の作品創作にも活かすことが可能なのではないか。稽古場という閉じられた空間のみで創られたメソッドが、より広く使われるツールとなるのではないか。それは未来のアーティストにとっても大変重要なことだといえる。

また、戯曲や上演ではなく、メソッドのスコア化である点が画期的である。
戯曲や上演のスコア化であれば、今までの舞台芸術の継承のされ方とさして変わりはない。
しかし、メソッドのスコア化は上記にも触れたように、そのメソッドを自分の作品に活かすことが可能となる。そこには多様な可能性が秘められているだろう。

以上の理由から参加することにしたが、当日は、必ずしも私が想定していたとおりのプログラムが展開されたわけではなかった。

このワークショップ+レクチャーは大きく2つの軸があったように感じた。
1)篠田が事前に準備した『アントン、猫、クリ』のスコアを使い、レクチャーを通して参加者がショーイングすること。
2)スコアが過不足なく情報が記載されていたかを考えること。

ワークショップでは、この2つの課題が並行して進められていた。そこで、1)を参加者に与えられた目標、2)を篠田が達成したい目標と整理したうえで、このレポートではそれらがどのようなつながりをもっていたかを明らかにしたいと思う。2つは完全に切り離せるものではないが、このような視点を導入することで、「継承を欲望する」という本企画の趣旨がいかに遂行されたかを検証できるはずである。

なお、講師は3名いたが、中心的な役回りはスコア化の発起人である篠田であったため、「スコアが過不足なく情報が記載されていたかの確認」を篠田が達成したい目標と仮定してレポートを進める。

それでは、まずは当日の流れを振り返っていこう。

ワークショップは自己紹介からはじまった。
参加者は6名。その中には演劇だけでなく、ダンスやパフォーマンスを行う者、美術分野の研究をする者もいて、演劇のワークショップを謳っているのに演劇から少し離れた分野にいる参加者もいることにワクワクした。

「書くより読まれること、読まれることで解釈が存在し、そこに幅があることに興味がある」

自己紹介の中で篠田はこのように語っていた。
『アントン、猫、クリ』は2009年に初演された演劇作品である。企画と製作をおこなった篠田いわく、創作現場では、場面の状況をパフォーマーに伝え、発話や動きの指示をだしていたが、それをテキストとしては残していなかったという。そのため、「読まれるもの」としての『アントン、猫、クリ』はまだ存在していない。
先にも触れたように、メソッドのスコア化をすることで、今後『アントン、猫、クリ』でのメソッドの使われ方以外の作品も出てくるだろう。
それは、大元の作品の解釈にも幅が出ることにつながる。篠田のこの言葉は希望のようだった。

参加者はまず、神村と篠田によるメソッドの実演を見て、そこに至る過程のレクチャーを受けた。

・自宅のキッチンでアイスカフェオレをつくる(神村)
・バンコクの運河をボートで渡る(篠田)
・アパートのゴミ出しで隣人とすれ違う(神村、篠田)

神村と篠田は独特の身ぶりと発話によって短いスケッチを立ち上げていた。
その後のレクチャーでは、日常のルーティンを思い出し、それをマイムで動く、言葉を名詞やオノマトペのみに絞り、マイムの動きを身体の他の部位で表現したり、マーキング[*1]的な動作だったりへと移行していった。この一連の作業は「アントンの踊り方」と呼ばれていた。

レクチャーを受ける中で、講師3名とも少しも否定的な言葉づかいや、ディレクションを行うことはなかった。
しかし、外側からのオーダーはなくとも、実演を見ているので目指すべき点からは程遠いことだけはわかった。ただ、クオリティを上げるというより、まずやってみることに重きがおかれていたようだったので、若干の不安を抱えたまま次のステップへと向かった。

休憩をはさみ、篠田がこの日のために書いてきたスコアをベースとしながら、ショーイングへ向けたワークショップが行われた。

配られたスコアはまさしく楽譜のようであった。
ピアノの楽譜よりはTAB譜の方がイメージに近いようにも思った。
TAB譜はギターなどの弦楽器に用いられる楽譜で、どの指でどのフレットを押さえるかが書いてあり、初心者でも比較的簡単に演奏することが可能である。
それに似ていて、どのような身体の状態で、セリフを言うかの指示が書いてあった。

しかし、楽譜とは違い、このスコアを読み解くための共通言語が存在していなかったので、そこから篠田の意図を汲みとる作業が始まった。こちらは「アントンの読み方」と呼ばれていた。

作曲家の安野が中心となり、楽譜と比較しながら、スコアの解釈は進められた。
参加者も積極的に意図を問うたり、考えを発言したりしていて、最初のレクチャーのときよりもリラックスした空気感であった。
より楽譜的にすると、パフォーマー自身の表現の幅を狭めてしまい作品の繊細さや自由さが損なわれるが、想像の余白を大きくすると、今日時点での共通言語では解読が難しくなる。
この2つの問題の隙間を縫うように話し合いは進んだ。

後半は、ほとんどの時間が話し合いだったように思う。

目の前のスコアに講師と参加者全員で向き合うのは楽しい時間だった。
セリフやト書きが書いてある一般的な戯曲ではこんなに話が盛り上がることもなかっただろう。
戯曲の場合、作者の意図を汲みとることや、この作品で何を伝えるかという、概念的な側面に重きがおかれるため、自分自身をさらけだす必要がスコアよりも上がると感じている。
心理的安全性が担保されているか、自分の考えに自信があるか、信頼できるメンバーかどうか。戯曲について話すことは、私にとってハードルが高い。ましてや、書いた本人の前で話すことはより難しく感じるだろう。
だが、スコアという、テクニカルな読み解きは、その場にいる人たちの中でルールを作ることから始められる。これは集団創作において有効な手段のように思われた。

少しずつシーンを実践して、話し合い、を繰り返しながら配られたスコアの途中までを最終的にショーイングとして発表した。

発表自体はなんとかこなすことができたが、果たして期待されていたようなパフォーマンスになっていたのだろうか。
一般的なワークショップでは、参加者が学ぶ・体験をすることに力点がおかれ、講師はその支援者となることが多い。しかし、ワークショップの後半は、篠田が達成したい目標のための時間となっていて、参加者は篠田の設定したゴールへと並走する形であった。

そう感じた要因は、チラシや宣伝の文章には「メソッドのスコア化」と書かれていたが、当日、行われていたことは「上演のスコア化」だったことにある。

「メソッドのスコア化」と「上演のスコア化」は何が違うのか。メソッドは手段だが、上演は目的であると定義してみよう。
ピアノでいうなら、メソッドは練習曲(エチュード)にあたる。
様々な表現方法を学び、より表現豊かに演奏をすることと同じように、このメソッドを使うとより作品の強度が増すようなイメージだ。
そうなると、メソッドのスコア化の意義は、稽古がより豊かになることにあると考えられる。

たしかに、『アントン、猫、クリ』を継承するためには、上演された作品をスコア化するのは必要な作業だ。
しかし、参加者の6名は上演された『アントン、猫、クリ』を観たことがない集まりであった。参加者たちとしてはスコア化の力になれているのか、いま表現していることが求められていることなのかは不安だったのではないだろうか。私は不安が大きかった。
芸術分野において正解を求めることが野暮だと理解しつつも、そう感じてしまうのも仕方ないことだろう。

今回のワークショップは、参加者たちの目標(メソッドのスコア化と、そのショーイング)と篠田の目標(上演のスコア化)にズレがあったように感じた。
参加者たちは、篠田が何を問題とし、何を解決したいのか、そのために何を提案すればいいのかを模索していた。
しかし、実演を見せられなければ(現時点での)スコアを上演することは難しく、メソッドのスコア化という点においては、残念ながら消化不良な結果となった。

また、企画全体としても、”どうしたらスコア化できるか”と、”今日、習得したことを発表する”という2つの課題を同時進行するには時間が足りなかったように思う。
ただ、発表するというステップを踏まなければ机上の空論になってしまうので、ショーイングが必要なかったとは思わない。

今回、「継承を欲望する」ワークショップ+レクチャーに参加して、戯曲や上演台本ではない”スコア”という方法で残すことはクリエーションメンバーが活発に話せる余地のある良きツールとなる可能性が大いにあると感じた。

また、記録メディアが発達した現代において、”スコア”で継承することは、記号とは何かを考えることにもつながる。
そこから、アーカイブとしてのスコアではなく、スコアという新たな表現の可能性が見つかるかもしれない。

あの日からスコアがどう進化したのか気になる。


*1 ダンスにおいて、振り付けの確認をするための動き。


テヅカアヤノ(てづか・あやの)
2021年に演劇・ダンス・ファッションショーなどシームレスな創作活動を展開するTeXi’s(読み:てぃっしゅ)を設立。脚本・演出・衣装プラン等を手掛ける。これまでの上演作品に『G+(CHON)=』(2021年)、『水に満ちたサバクでトンネルをつくる』(2022年)、『Aventure』(2022年)、『夢のナカのもくもく』(2023年)。

【イベント情報】
演劇ワークショップ+レクチャー
「継承を欲望する――『アントン、猫、クリ』のメソッドはスコア化できるのか」
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=10956

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