2024年1月24日(水)10:00インタビュー
1月26日より開幕する『まとまらない身体と 2024/横浜session』
本作は福留麻里によるダンスプロジェクトで2021年から収集しはじめた10秒前後の「小さな振付」から構成されます。
福留をはじめ、様々な人により作られたり見出された「小さな振付」は、2024年1月時点で約165個あり、ささいな日常の出来事、いつかどこかの風景、記憶……と様々な背景や由来を持っています。
それらは舞台上で思い出され、紐解かれ、身体で語られていきます。
ソロ作品としてスタートした本作を、今回はグループ作品としてリクリエーションします。
出演者はそれぞれ振付をどのように受け取り、紡いでいくのか。
演出・出演者の福留麻里さん、出演者の安藤朋子さん、杉本音音さん、たくみちゃんにお話を伺いました。
聞き手を務めていただいたのは、演劇作家の篠田千明さんです。
篠田:先日の通し稽古を私は見させてもらったんですけど、まずその時にトライしていたものが何だったのかっていうのを、麻里ちゃんから聞かせてもらえますか?
福留:今回、上演に向けてのリハーサルを7月、10月、1月と3期間に分けていて、シノちゃんには10月のリハーサル最終日の通しを見てもらいました。
7月と10月は、今までつくってきた「小さな振付」をみなさんにとにかくひたすら紹介する、振付を渡していく作業をする時間でした。この作品は約150個(11月時点)ある「小さな振付」をその場で思い出すっていうことが核にあるので、思い出すためにまずは覚えてもらうということをやってます。
それからその日に共有した振付の中から、例えば10個だけとか個数を決めて思い出した順に動いてみるということと、その思い出して動いた振付を各々の言葉で紹介するという内容をやっていました。
10月のリハでは引き続き同じことをやりつつ、複数人での上演にしていくための形をつくりはじめたっていうのが一番大きいかな。
まずは自分の記憶の中から、その時に思い出した振付を動く。そこから他の人も何を思い出して動いたのかを共有して、その場にみんなで振付の動きを置いていく、みたいなことをやってました。
篠田:”みんなで置いていく”っていうのは、たとえばお皿みたいな器があるとして、ひとつの器の中に置いていくようなイメージ? それとも器そのものが増えていって、それを並べていくイメージかな? はっきりとは分けきれないと思うんだけど……。
福留:器が振付ってことだよね。振付を動くことで、その経験がまたさらに記憶されて蓄積されていって、振付という器の中に、何でも入るみたいな感じがしている。
たとえば、胸の前で手の平をあわせて、片手を頭上に伸ばして引っ張るという動きの振付があって、それは「温泉が気持ちいいな〜」って脱衣所で伸びをしたっていう動きが由来なんだけど。その振付の動きを見た人が「鳥が飛んでるみたいに思えた」って感想をくれて、「えー! そんな素敵な見方してくれたの?」ってなって。でもそう見えたってことは、動きの中にそういう側面もきっとあるんだと思って、鳥が飛ぶみたいな動きも追加することにしたの。
振付があることでイメージが無限になっていく感じがあって、それを出演者それぞれが記憶として持っていて、個人と振付との関係性も、その振付に所属することにもなると思う。
篠田:なるほど。
振付の紹介っていうのは、日記みたいに麻里ちゃんから1日1通メッセンジャーで送られてくるって聞いたんだけど、最初から映像で一斉にシェアしていったの?
福留:メッセンジャーでの振付のお便りは7月のリハーサルが終わってから始めました。送る振付はその日に合うものや、ただ目に入ったものを、その時に選んで送っています。実際に動いている映像か振付リストのイラストの画像と一緒にその振付が生まれた由来や背景、エピソードを添えてます。
この振付のお便りは「小さな振付」たちを知ってもらう目的もあるけど、みなさんの日常にちょっとだけお邪魔するみたいな。「こんな動きあったよね」って思い出してもらうことが大事なので、舞台上で実際にやることの日常版みたいな感じかな。
篠田:7月のリハーサルの段階でも、他の人から振付の収集はしてたの?
福留:したした! だから振付がまた増えて。
たとえば私が出産する時に目線の先に時計があって、その時計の針の動きをするという振付があるんだけど、それをリハで紹介して実際に動いてみてってやったら、安藤さんが出産された時に陣痛の痛みを和らげるためにやってた動きを思い出して、教えてくれたのがあって。痛いところを逃がしていく、みたいな動きなんだけど。それも「小さな振付」にさせてもらって。
で、そこから音音さんが入院されてたときに、やけに時間が長く感じると思ってたら病室の時計が8時40分でずっと止まってた、ていうエピソードを紹介してくれて。それは私の出産時の時計の振付の派生形として”8時40分で止まる”っていう新たな振付になりました。そうやって振付を紹介することで、そこから想起されたエピソードから新たに振付が生まれていくっていうことがありました。
たくみちゃんは、振付を動いてみると、新たな踊りになることがあって。「あれ、同じ動きだったと思うんだけど、これは明らかに違う動きだぞ?」ってなって、でもこれを元々の動きに戻しちゃうのはもったいないから、これはこれでひとつの振付にしていくっていうことがありました。
篠田:それはAっていう踊りがあって、たくみちゃんが踊るとAからBが生まれるみたいな感じ?
福留:そうそう。派生の仕方もバラエティに富んでます。
―他者の記憶と向き合う
篠田:じゃあ今度は振付を受け取った側、出演者のみなさんにお話を聞きたいと思います。
まずは振付を渡されて、どういうふうに捉えて、さらに発信するときに、みなさんの中でどんな作業をしているのかを教えてもらえますか?
杉本:振付を自分の身体に落とし込むときに、パターンというか何種類か方法があると私は思っています。
たとえば、エピソードがある振付の場合だと、自分が体験していないものをもらうことになるので、それと近しい自分の経験から参照するか、その人になってみるっていうことの2通りがあります。どっちのアプローチがあっているかは、たぶん振付の動きによって決まってくるので、それをどんどん探していく作業があります。
ただ振付をもらう、ただムーブメントを動いてください、というのとはまた違った経験をしているなっていう感覚が大きいです。
一方で、実際に踊るときには、“体液が流れているのを自分で消化する”とか、“身体の中で起きていることをどんどん明確にしていく”といった作業もあるんですけど、そこに加えてエピソードをどういうふうに、どこまで伝えるようにするのかっていうのが、いつも考えるところですね。例えば私は妊娠や出産は経験していないから、そういうエピソードをもつ振付の時はぜんぶ想像上のことだけど、もしかしたらこれから経験するかもしれないっていう予想でやっています。
その両方の作業をしている中で、もしかしたらこういうことかもっていう、新しい出会いが身体の中で起きているといいなって思います。まだまだ消化中ではあるんですけど。
篠田:それは自分発信の動きとは、やっぱり違うんですか?
杉本:自分発信の動きは、自分の経験がなるべく分かるように心がけています。動きにヒエラルキーがあるって、よく麻里さんがおっしゃっているんですけど、私もそうだなと思っていて。
さっき話題に出てた8時40分の時計の振付は、8時40分で時計が止まっていて、「あ、時間が止まってる!」って気づいた時の衝撃は自分のエピソードからの感覚なので、ちょっと力がこもっちゃうというか、「この動きには8時40分に意味があるんです!」って堂々と言えているような気がして、もしかしたらそのぐらい他の動きとも同じ関係性になれたら、もっともっと違う景色が見えてきたりするのかなって思います。
篠田:音音さんがいま言った、“動きのヒエラルキー”って言葉が気になります。
麻里ちゃんはどういう文脈で、どんなことをイメージしてそれを言ったんですか? たとえば、リハーサルの中のどういうタイミングでこの言葉を出してたのかなと思って。
福留:2022年3月にこの作品のソロ公演をやった時、たくさんある振付たちすべてが平等っていうわけじゃないということを、ものすごく感じて。それは思い出すってことがあるからなんだけど。
篠田:思い出す作業があるから、ヒエラルキーみたいなのが意識されるってこと?
福留:記憶にも層があることを、この作品を稽古していると特に感じるんだよね。本当に直近にさっき見たから覚えてるってこともあるし、そういう即物的なことでない自分にとって思い入れがあるから出てきやすいものもあるし。それは個人にとってヒエラルキーが出てくるっていう話で、作品にとってのヒエラルキーってことではないんだけど。
篠田:うんうん、でもその思い出すっていうことがタスクとしてあるので、それを考えると序列が出てくると。
福留:全部の振付が平等ってことはありえないなって思う。
振付を自分に落とし込むっていう作業を、みなさんがやってくださっているけど、私はその落とし込み度みたいなのが動きによって差があって。約150個の振付が全部同じぐらい自分の身体に入ってるかっていうと、かなり怪しい。ほぼ一度も思い出されないまま、みなさんに紹介する時に「あ、こんなのもあった!」みたいなのもあるし。
例えば家族や仲良い友達、名前と顔は一致するけどそんなによく知らない人…みたいな人間関係の中でも差があるじゃないですか。それに近いかも。
自分の身体を通して動いたことがある振付であっても、そこから関係をどこまで深められたかっていう度合いの違いは出てきちゃう。
篠田:音音さんは、自分とは直接関係ないけどシンパシーを感じる振付はありますか?
杉本:「ジンベイザメの背中を撫でる」っていう振付があるんですけど、それはもともと麻里さんがジンベイザメと一緒に泳いだ時の体験が元になっていて、それがそのまま振付になっているものなんです。
私はジンベイザメは触ったことはないですけど、その振付をやると、サメに触れた時の大きな時間のスケールを感じるって麻里さんがおっしゃっていたのがわかるような気がします。その感覚が自分に落ちてくるような感じがして、すごく不思議だなぁって思ってます。
篠田:私もあの振付、すごく好きです。見てるだけでも、体感というか、大きさの感覚をもらうような感じがしますね。じゃあ、続いて安藤さんはどうでしょうか?
安藤:私は、受け取った振付はなるべく正確に覚えようとしています。
これまで人からの振付をやったことがないので、すごく苦労はしてますが(笑)
それで、麻里ちゃんが振付の動きに付け加えてくれてる身体感覚というのがあって。例えば“身体の右の方に体重がいく”とか、そのときの身体の感覚も振付にとって大事なことなので汲み取れるように努力しています。麻里ちゃんがそれをどう感じたかということと、自分がやってみてどう感じたかは時々違うことがあって、そういう場合は言葉で説明するときに自分の感覚を付け加えたりしています。
篠田:振付と身体感覚について聞きたいんですが、たとえば振付というのが表出されて見える形だとして、身体感覚っていうのはその形をやる時にどう納得するか、折り合いつけるかみたいなことですか?
安藤:そうですね。例えば“体液が右に流れていくように”という説明がつくと、単純に形だけで身体を右に傾けていくんじゃなくて、グゥーーッて体液を流すように傾いていくっていう感覚が重要で、その感覚を身体で習得したうえで、最終的に自分なりの感想が出てきたときは、それを言葉の説明に加えたりしてます。
篠田:安藤さんはお気に入りの振付ってあります?
安藤:現時点でいろんな振付を習得できていないので、まだお気に入りもわからないし、私は振付のヒエラルキーも今のところないです。ただ、習得したとしても、自分を不安定なとこに置いときたいっていう願望があります。臆病なくせに、こわいもの見たさというか。特に一発目は、気が小さいので絶対用意してしまうんですが、いざ舞台上でやるとなると、用意したものじゃないものをやろう、これじゃないこれじゃないと何回か否定して、そこで突然出てきたものをやったりしています。その時に遭遇したっていう感じのことが好きなんですね。それが本番でできるかどうかわからないんですけど。
篠田:その準備しちゃうみたいな時って、でも結局それはやらないわけですよね。
安藤:そうなんです、だけど準備しちゃうんですよ(笑)なにしよう、なにしようって。
篠田:めちゃくちゃ尖ってる若手お笑い芸人みたいですね(笑)エピソード用意しとくけどそれ言わないぞ、みたいな。
安藤:その場で浮かんできたことじゃないとドキドキしないというか。ただ、自分の中でまだ迷いはあるんですよ。決まりを作らないと、なんだか示しがつかないなとも思っているところです。
篠田:ある意味その思い出しているっていう姿みたいなのを見せるのって、一番難しいことではありますよね。
安藤:あらかじめ用意したことは否定しないと「思い出した」ことにならないんじゃないかって。とにかく不安定なところに自分を置いときたいという、アンビバレンツな感覚が魅力でもあります。
篠田:なるほど、面白い。いいですね。尖ってますね(笑)
たくみちゃんはどうですか?
たくみちゃん:ぼくも振付を正確に覚えるのが遅い方なので、まずは、完全に全部、もう自分のものにして踊れるようにしないといけないなって思っています。ちょっとまだそこができてないというか、逆に自分の踊りみたいにして、繋げてソロにするとかは、できちゃうところはあるかもしれないんですけど…。
篠田:あの数を正確に覚えるのは大変ですよね。
たくみちゃん:覚えるっていうことと、そのあと自分の踊りにするっていうことが、たぶん順番ではなくって、並行してあるのかなと考えていて。
覚える段階にいるっていうわけではないんですけど、振りの一つひとつの質感だとかを、より自分の中で細かく、毎回、踊れるようにしていくっていうのが、きっと大事なんだろうなと感じていて。シンタックスっていうんですかね。振付がネットワーク的に関係しあっていて。例えばAの振付とBの振付の質感の違いを麻里さんはすごく大事にしてるんですけど、質感が違うことによってその2つの振付が区別されるし、だからぼくが踊って違う質感のものが生まれたら、それはまたそこから派生するCという振付にどんどん増えていくっていう作品だと理解しています。
それをちゃんと見せるためにはやっぱり、正確に一つひとつがくっきりとできないといけないので、ここからもっと、それをよりくっきりさせていくぞという状態ですね。
篠田:じゃあ、安藤さんや音音さんが言ってたような、自分の体験から出てきた振付と他の人の振付との差みたいなものは、どんどん増えていってしまうから、たくみちゃんにとっては逆にないってことなんですかね?
たくみちゃん:基本的には差はないんですけど、やっぱり自分が作った振付の方がやりやすいというのはありますね。それは自分が書いたセリフの方が覚えやすいみたいなことに近いと思うんですけど。ただ、差はなくなっていく方がいいんだろうなとは思います。
一方で、ぼくが考えた振付に、たとえば手をぐるぐる回す動きがあるんですけど、これは遠心力で指先に血が集まるかどうかが大事で、その指先がちょっと重くなる感覚を自分は知っているので、それが他の振付との違いになってくると思うんです。そこのところは言葉の仕組みに似ているなと感じました。
篠田:私も言葉みたいな感じだなって、器の例を麻里ちゃんが説明してくれたときに思った。
言葉も、たとえば赤と言った時に、その赤をどういう赤としてイメージするかは同じでないみたいなことがあって。だけどその赤っていう言葉があることで、イメージを受け渡せるわけでもあるという。
いま3人からお話を聞いていて思ったんだけど、3人とも「正確に踊る」っていうことがまず共通してあって、無限に広がるからこそその形みたいなのをみんな大事にしてるんだなぁっていうのをすごく感じました。
―変化しつづける身体を味わう
「まとまらない身体と」福留麻里ソロ公演(2022年/撮影:Nahoko Morimoto)
篠田:次はソロパートをやったときの感覚を聞いてみたいかな。
私は音音さんのソロパートしか見てないんだけど、音音さんの踊りは形として動きが見やすいので、だからこそ、他の人のキャラクターが現れるときがくっきり見えるんですよね。
「いま音音さんの中に、麻里ちゃんがいる」「安藤さんがいる」「たくみちゃんがいる」みたいなのが、パッと綺麗に浮き上がってて、他の人が重なって見えるぐらいはっきり見えるのがすごくいいなと思いました。
杉本:そうなったらいいなと思っています。もとの振付の記憶を知らない、体験はしてないけど、できる限りそれが全部にくっきりできるようになれたらいいなと思っています。
もしかしたら、自分の要素をプラスすることが増えていくかもしれないんですけど、今も自分の好きな感覚がどんどん増えつつあるので、いいミックス加減を探せたらいいなぁって思っています。
篠田:記憶のコラージュみたく、結構パキッと見えたので、誰でもないけど、いま誰かの日常みたいなのは、音音さんのソロにはきっと出てて、それは面白かったですね。
福留:ダンスの中にある「何かになる」みたいことって演技とも通じていますよね。演技ってなんだろうってことも、今回の創作の中で考える場面があります。
篠田:なるほど。ソロを踊ってみて安藤さんとたくみちゃんはどうですか?
音音さんみたいに意識していることがあったら教えてほしいです。
安藤:初めてソロを麻里ちゃんからやってくださいって言われたときは「えーできるかな?」って思ったんですが、すぐに湧いてくるものをとにかくやろう、それを自分で繋いでいけばいいんだと思って、何の準備もなしにやってみたんですね。そしたら、今までにない経験というか、面白かったです。繋げてやってみると、同じ形をやってても、あるときは全然違う内容にもなるんだという発見があり、同時にとても自由な感覚をもちました。
たくみちゃん:すごく楽しいですね。舞台の上に、なんの振付が置かれていってるかっていうのを覚えていくんですけど。それを一人でリプレイっていうか、『ジョジョの奇妙な冒険』の中にそういうスタンド能力を使う奴がいるんですけれど、ムーディー・ブルースっていう。
この中にジョジョわかる人いますかね……?
福留:全然わかんない(笑)
たくみちゃん:ムーディー・ブルースっていうのは、その場所にかつていた人に変身することができるんですけど、服とか形も全部。全部を再現してくれるから、そこで何があったか探偵みたいに分からせてくれるやつがいて。地味な能力なんだけど超かっこいいんです。そういうことができるといいんだろうなと。そういう新種の能力みたいなのが、必要とされるのかもしれないなぁと思って、それも面白いです。
篠田:その場に残ってる、そこの空間にある、気配みたいなものをつかみ取りたいみたいな気持ちがあるってことかな?
たくみちゃん:そうですね。あとは、やっぱりアレンジできるのがソロなんで、そこも楽しめるようになりたいです。
篠田:じゃあ、次は麻里ちゃんに聞いてもいいですか?
2022年3月の公演は麻里ちゃんのソロ作品でしたが、それを経て、今回のグループ作品はある人の記憶が別の人の記憶になる、ということがすごく明確になっていると思いました。かつそれが多層的になっている。
それは単純に複数人いるので、麻里ちゃんの記憶が、他の出演者の中に入って、その人の中にある麻里ちゃんの記憶がさらに別の出演者のなかに中に入る、ということが、作品を通してクリアに見えて。いい意味で裏切り感があってよかったです。
麻里ちゃんはソロ公演の時から、他の人に上演してほしいなっていうのは思っていたんですか?
福留:ソロ公演の時から、他の人にも踊ってもらうっていう可能性はあるなと考えてはいたんだけど、育児中なのもあって、人と一緒に創作する自信がなかったの。
だけど今回、STスポットに「グループ作品での上演はどうですか」って言ってもらって。もしやるんだったら、いつかご一緒したいと思ってた方々に勇気を出して、お誘いしたって感じです。グループ作品にしてみて、発見だらけでよかったです。
篠田:ソロ公演の時は、麻里ちゃんの雰囲気が全体を統一するトーンとしてあって、それに支えられていたと思うんだけど、今回はそれがない。その麻里ちゃんのトーンが剥がれたことで、作品の構成がすごくソリッドに見えてきたのがとてもよかったと思う。
福留:そうそう、私もみなさんの影響を受けて変われたらいいなぁと思ってる。
振付を思い出す練習してたときに、「あ、さっき音音さんこのこと言ってたなぁ」とか、何かの形をした時にさっき安藤さんがこういうふうな形をしてて、その安藤さんの姿が思い出されるとか、ありました。
ソロ公演の時とは思い出す動きがかなり変わってきていて、記憶の層が自分の中にもザワザワと変化した感じがあります。そのザワザワしてる感じを、舞台の上にも持っていけるといいな。
篠田:麻里ちゃんのソロ公演をいま思い出してたけど、あのときは麻里ちゃんは独りだったけど、でもラストにはいろんな人のざわめきのような雰囲気があったように思う。
福留:振付を作る時は、その振付を踊る自分よりも絶対に過去になるから、未来の自分へのメッセージのような気持ちもあって。特に妊娠中はそう感じていて。
妊娠や出産はわかりやすい例だけど、未来の自分の状態が今と同じことはなくて変化しつづけてるはずだなぁって思う。
篠田:ソロ公演の時は麻里ちゃんが妊娠・出産して自分の身体の変化を味わってて、それと同時に日々を味わうみたいな感覚が強かった。それが時間が経ったのもあるし、さらに他者へ手渡したりしたことで、その日常の中の身体のひとつに組み込まれていっているようで、印象がずいぶん変わった気がする。
福留:自分でも、距離ができたことがよかったと思います。
篠田:そのとき工夫してやってたことも、いつの間にかもう忘れている。でもそのことは絶対残っていて。営みのひとつとして捉えられるっていう感じがするね。
福留:うん、今回は私自身に関連することもサンプルのひとつみたいな感じになってると思います。
【公演情報】
『まとまらない身体と 2024/横浜session』
2024年1月26日(金)-1月28日(日)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=10414