劇場

「ラボ20#22」ラボ・アワード決定/キュレーターによる総評をアップしました

2021年1月06日

昨年末に開催した「ラボ20#22」の最終発表の上演を経て、#22のラボ・アワードの受賞者が決定しました。受賞者は涌田悠さんです。
涌田悠さんには副賞として次年度以降での作品発表時の会場提供や制作サポートを行います。
以下に、キュレーター福留麻里による総評を掲載いたします。


「ラボ20#22」総評
2019年8月のオーディション→中間発表→合同稽古や試演会、そして2020年3月の公演の延期から9ヶ月の期間を経ての合同稽古→スタッフ見せ→小屋入り上演。
5組のダンス作品の変化の過程に立ち合い、対話を重ねた約1年半は、私個人にとっても、「ダンス」とは「作品」とは「上演」とは、という問いを何度も往復する時間でした。
今回スタート時点から、作品として形を整えたりまとめていくことよりも、まずはそれぞれのやりたいことにとことん向き合う機会、実験する機会にしてほしい、ということを念頭に置いていました。
このとき、実験という言葉に込めていたことは、自分がやりたいことに向き合って、今既にあるものを疑うこと、壊れることや失敗を恐れずに自分なりの色々な方法を試してみる、それを客観視するという意味が大きかったです。

最終的には、5組ともに様々な試みを繰り返したのちに、それぞれの原点に戻るような選択をしていたと思います。それは自分に、身体に、向き合うということだったかもしれないです。
このコロナ禍の自粛期間、それぞれが自問した経験もきっと影響しているのだろうと思います。
身体で表現すること、継続すること、自分に、観客に向き合うこと(=社会に向き合うこと、というのを今回の公演で改めて痛感しました)に対して、ヒリヒリとした切実さや緊張感が伴っていました。

上記の制作期間と本番2回の上演に立ち会った上でラボアワードは、涌田悠さんの作品に贈ることにしました。(最終回の上演は、アワードを決定した状態で観ました。)

アワードについて、どの作品に対しても思い入れが大きく生まれていること、またそれぞれのアプローチも魅力も課題も異なる中で、とてもとても悩みましたが、作品としての現時点での完成度よりも、過程の共有も踏まえた上での可能性と期待に重きを置きました。
また「ラボ20」はキュレーター制で、今回は私が選考する権利をもらっていることもあり、私自身の興味の反映やどのようなダンスを見たいか、ということも最終的には影響しました。

以下にそれぞれの試みや作品について書いていきたいと思います。

涌田悠「涌田悠第三歌集」
オーディションの時から涌田さんが一貫して話していた「わからないことを探る」ことを続けたことで、安定しないままその場に居続ける、ねじれるような強さに繋がっていたと思います。
その振れ幅は大きくて、身体がどこまでも個人に属するということ、そこにある生活の匂いと、個人からどこまでも自由になれる可能性がある、私とか人間から離れてエネルギーの塊になったり、得体のしれない生き物みたいになったりすることが、言葉と身体との重なりや分裂やぶつかり合いの中で瞬間ごとにあらわれては消えていくようで、色々な景色や問いや感情、世界との関係が生まれ続けて、心と身体を動かされました。
ささやかな感覚を頼りに探りもがく身体が、それでもここにいる!というふてぶてしさや身勝手さのようなものが涌田さんの身体にはあると感じていて、その今にも爆発しそうな涌田さんというダンサーを、作家としての涌田さんがこれからどうのびのびと踊らせることができるのか、突き放すことができるのか。
今回、涌田さんの短歌とダンスの可能性はまだまだ途中段階だと思っています。今回挑戦していた、発話と録音、意味との距離、言葉や動きがが生まれる手前の状態や言葉に動かされる身体の状態も含めてもっともっとこの先があるはず、言葉と身体の関係はこれまでも色々な人が挑戦してきていて、私自身も興味があり取り組んでいることでもあるので、期待と嫉妬とプレッシャーも込めて、アワードを贈ります!
これからも涌田さんらしさにも、作品らしさにも、ダンスらしさにもおさまりきることなく、進んでください!

田村興一郎「LAUGHING GAS」
田村さんは、自分が見たいものがすごくはっきりしていて、それを具体的にする自分なりの方法も既にある程度知っている、その力はさすがだなということと、STスポットという空間に思い切り寄り添ったことで、STスポットらしさを生かしたまま全然ちがう空間に変身させていて、その思い描くスケールや背負おうとする意味が大きいことも含めて、頼もしさのようなものも感じました。
作品の構成がしっかりしていたり、ソリッドな美しさやかっこよさが前面に出てくる印象があったり、
ダンサーのおふたりも個性を消すような演出だったと思うのですが、振付言語や動きの質から、時々奇妙で絶妙なおとぼけ感のある魅力がポロリと見えてくることが興味深かったし、その部分に一番可能性を感じました。カチッとしているように見える中に時々垣間見える粗っぽさのようなもの、論理的なようでとても直感的にも見えるので、その独特のバランス感覚が動きや作品の細部に反映されていったら、もっともっと見たことのないもの、わけのわからないけど説得力のあるものになる気がしました。「ラボ20」に限らず、自分の力でがしがしと貪欲に活動の幅を広げている田村さんは、これからダンス界をひっぱっていく人の1人だとも思うので、そういう意味でも期待しています!

飯塚大周「0回以上の残響」
飯塚さんは、5組の中でダンスがベースではない唯一の参加者でした。オーディション、中間発表含めて、いわゆる「踊る」ってことや、言葉を扱うことも含めててんこ盛りに試していった先で、最終的には、無理に動くのではなく、自分に嘘のない在り方を選択して発見を繰り返して行ったことで、じわじわと上演の時間の質が深まって、その場にいることの中にある色々なこと、演奏する佇まいや手つき、小さな遊び心や、ささやかな挙動、視線、舞台上の音響設備との関係も、ひとつひとつがキラリと光ってどきどきしました。この公演の文脈で見た時に、飯塚さんの上演は「ダンスって何か」っていう問いを少なからず投げかけることにはなって、私自身もそのことについて改めて考えたし、色々動けばダンスってわけじゃないってこと、でも「問い」を投げかけるだけでは、見てる側が頑張ってダンスを探そうとすることはできても、そこに生まれるダンスを感じることには至らない、客席との関係から上演の時間の質がとても大きく変化するという意味でも、常にあやうい橋を渡るとても繊細な線引きなこと、そして身体がその場でいきいきと存在していたら、その時間と空間は充実するということを、飯塚さんの実践のトライ&エラーから痛感しました。
今後も、音との関係を身体で発見していくということをぜひ続けて、独自の上演形態を開拓していってほしいです!

チーム・チープロ「皇居ランニングマン」
チープロさんは、オーディションの時から比べものにならないくらい、作品がアップデートされていって、試してやめて足して引いての作業を繰り返していく過程そのものにも運動があり、チームワークの風通しの良さと柔軟さも感じました。だからこそ、しっかりした作品の枠組みが有機的に組み上がっていったのだと思うし、
ダンサーとしての松本さんの身体の在り方も説得力が増していったことで、作品が扱っているテーマや主題も、情報の提供にとどまらずにより体感として届くものに近づいたと感じました。この街(東京)で踊ること、この身体が社会の中の歴史の中の一部であること、自分自身から逃げること、自由になること。
松本さんの踏むステップのリズムに乗っていくことで、個人としての私にとっても、より切実に様々な思いが胸に迫ってきました。
今回、私はこの作品を「ダンス」として納得したい、という視点で途中経過でも発言やフィードバックをしてきていて、でも同時に、まだまだいくつもの角度で伸びしろがある作品だとも思うので、ダンスに限らず色々な文脈(例えば演劇やパフォーマンスアート、社会学など?)の人にも観てもらって、もっと多角的な視点で論じてもらったり、色々な意見を交わしたりしてみてほしいという気持ちがあります。どうすればいいんだろう。ひとまず何かに応募するとかでしょうか。自分たちで企画してみるとか?
今後も身体が積み重ねる体感をさらにアップデートしてほしい気持ちはもちろんあります、身体を軸にしながらも、この作品と一緒にぜひどんどん色々な場所に出て行ってみてほしいです!

宮脇有紀「A/UN」
宮脇さんは、「観客(他者)と共有する」ということについて、途中経過でとにかく色々な角度、方法で試していました(例えばお客さんに話しかけたり、とても近くで移動しながら観てもらう形式を取ったり)。そして、最終的には原点に戻って踊ることに徹したことで、自分が自分であることの責任のようなものがどっしりと身体の深いところから湧いて出ている感じがしました(自信と言い換えてもいいかもしれないです)。宮脇さんのダンスを見ていると、身体が、ただ綺麗に動くもの、面白い動きをするものということ留まらずに、知覚の集合体として、信号を発し続けているのを目にしているような感覚になることがあって、そういう発見ができるのはダンスを見ている中でもかなり幸せな経験です。きっと宮脇さん自身の高解像度の感受性、そしてそれに具体性と説得力を与える、積み重ねてきた強度のある身体能力によるものなんだと思います。
だからぜひ、もっと更に自分の淡くもマニアックな感覚を、快も不快も横断しながら深掘りしていってほしいです。どこまでマニアックになってもその受け皿になれる身体の強みを宮脇さんは持っていると思うし、その堀りあてた感覚がさらに宮脇さんのダンスを作品を耕す気がします。また、それは宮脇さんの身体だけにひっついているものではなくて、外側にもその感覚を反映していく力もあると思いました。今回スタッフさんとの照明や音響のコラボレーション(と呼びたくなる鮮やかな共同作業でした!)でもそういう手応えを持ったんじゃないかな?と思うので、踊りを置く場を、自分自身や舞台に限らず、他者への振付や、色々な分野の方との制作(個人的には、実験的な音楽家や、空間を扱う美術作家の方とのダンスとか観てみたいです)なども軽やかに行うことも宮脇さんのダンスをもっともっと羽ばたかせてくれる気がします!

福留麻里

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