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i.e.project vol.02 山下残『大洪水』公演終了!|2010年4月

2010年4月10日(土)17:38アーカイブ

無事、公演が終りました。約1年間じっくり育てた企画が実を結びとても満足しています。
本来、節目節目で劇場で作ったものをしっかり残して、次の展開につなげていくということをしないといけないと考えてはいたのですが、ST通信共々、放置して数年、、、、。新たな指針とともに再開すべくまずは公演の記録からと思いここにアップすることにしました。

今回は昨年度、約半年間に渡り開催したWritingWS(講師:土佐有明氏)参加者の落雅季子さんに観劇直後に書いて頂いたレビューとゲネプロ時に松本和幸さんに撮影して頂いた写真を公開させて頂きます。

どのように公演を残して、次に結びつけて行くか。もっと多面的に残せるよう今後、発展させて行きますが、まずはここまでとさせて頂きます。

STスポット/大平勝弘


山下残『大洪水』2010.04.09 STスポットにて

京都を中心に活動し、2007年『動物の演劇』、2008年『そこに書いてある』などで、精力的にパフォーミングアートの可能性を広げている山下残の新作ダンス公演『大洪水』が、横浜STスポットで上演された。
客席頭上には照明と同じ高さに、舞台と平行に小さなスクリーンがいくつも取り付けられている。一見、照明器具と見間違えてしまいそうなほどだ。イントロダクションが終わり、舞台の明かりが落ちると、雨の降る音が響き出す。客は必然的に、頭上の青く光るスクリーンを凝視することになる。スクリーンには、水流、雨、池、プールなどの映像が次々と映され、すべてを押し流すような水のイメージが空間に満ちてゆく。三名のパフォーマはそれに溺れるようにして、身体を律動させる。
ふと一人がバランスを破る。他の二人は、遅れてその動きを自分の踊りに反映させる。それは徐々に同時多発的になり、感覚も短くなって混沌の寸前まで水が満ちる。動作のバトンを受け渡してゆくことで、目覚め、研ぎ澄まされてゆくパフォーマの身体感覚に息を飲む。早回しの動きゆえか、パフォーマ三名の身体からはそれぞれのチャームが垣間見えて楽しい。中村達哉の、ダイナミックに躍動する精悍な四肢。神林佳美の空を斬るようなシャープさ。宮原万智の強い意志を秘めた脚力とやわらかい見た目のギャップ。彼らが互いの挙動を見つめるまなざしの鋭さは、集中力に裏打ちされた切実さを滲ませ、観客までも貫く。振付がちょっとずつずれて伝播する様子は、コミュニケーションの原初形態を思わせる。情報の大洪水に翻弄され、放り出されて出会ったら、コミュニケーションが始まる。思えば人類の歴史は情報処理の歴史ではなかったか。増え続ける情報への対処方法を学ぶことで、人類は進化し、人間は成長してきたのだ。
山下は振付を固め、パフォーマが各々踊る時間と互いの振付に注視しあう時間を、明確に分けていた。その制約は、”今正に生まれる緊張感”を、パフォーマと観客が共有することに対して非常に貢献した。この作品の場合、どこまでが振付でどこからが即興であるかということは、作品の質および強度に影響しない。体にストックされた振付をこなしながら、”一生懸命踊る”切実な状態を如何にして保つかということにかけて言えば、またとない手法だったように思う。
このような、外部からの制約によってスタイルを構築する山下残のダンスの在り方は、明確に時間性を伴った展開を有するという点においても、極めて演劇的なアプローチがなされていると言える。単なる身体の形・動きの推移に留まらない物語めいた展開は、様々な可能性の中からそれが選ばれる必然性をたどった意志の表れに他ならない。言語を用いないまま意志のやり取りを図っているように見えた点も、演劇的な印象の想起を後押しするものだろう。
終盤、SEに犬の鳴き声が混じる。水流が引いたあとで、緑の草の上に明るい太陽が注ぐ景色を感じる。かつてここに流れていた水は、身体の奥深くに染みこんでもう見えなくなってしまったけれど、私たちの身体を潤し続ける。そんな発見と余韻をもたらす、深度を持った作品だった。

落 雅季子

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