2024年10月11日(金)13:00インタビュー
8月3日、STスポットで『部屋(壁・床・天井)と演劇』と題されたイベントが開催された。
「部屋と演劇」は、中村大地(屋根裏ハイツ)、野村眞人(レトロニム)、福井裕孝の演出家 3 名による集まりである。
2019 年から月 1 ペースで集まったり企画をしたりしながら、上演とそれがおこなわれる空間との関わりについて、関心や問題意識を共有してきた。
昨年はSTスポットにて『部屋と演劇 vol.1』を開催。公募で選ばれた俳優たちと各々がリハーサルを 1 日おこない、最終日に試演会で作品を上演した。そして今回は「部屋」を「壁」「床」「天井」の 3 つに分割し、それぞれが担当する平面について考えてきたことを 3 日間のリハーサル期間を経て、上演という形式で発表をおこなった。
劇場空間を部屋という日常的なスケールから捉え直し、上演と空間の関わりを思考してきた彼らが、あらためて問い直す「部屋と演劇」とは。
最終日の上演終了後、本企画の振り返りと、各々が考える「上演」とは何かについて、3 人に話を聞いた。
左から野村眞人、中村大地、福井裕孝
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――2019年から「部屋と演劇」が始まって、今年で5年目です。そもそも演出家として各々が活動されていた中で、3人で集まって「部屋と演劇」をやろうとなった動機って覚えてますか。
福井
「部屋と演劇」っていうと、家のリビングとか生活空間で演劇をやるみたいなイメージがある気がするんですけど、そもそもの趣旨は「空間と演劇」みたいな、上演とそれがおこなわれる場所との関係を考えようという集まりです。
ただ「演劇」と対置させるときに「空間」っていう言葉はあまりに実体がなくて漠然としているから、もう少し具体的な形と表情を持つものとして何か別の言葉を与えようということで、「部屋と演劇」になりました。
「空間」を「部屋」と言い換えることで、たとえば、劇場も自分たちがふだん暮らしている部屋や働いている職場なんかと同じように、つまり壁と床と天井によって仕切られた内部という空間の最小単位として、まずは同列に考えることから始められるんじゃないかと。出発点はそういう問題意識からだったと思います。
そこから「部屋」と「演劇」の関わりという共通のキーワードをてがかりに、初年度は三鷹のSCOOLで3人それぞれ作品を発表しました。
中村
最初に福井くんに「ご一緒できませんか?」って誘ったのは、ぼくなんですけど、その頃、自分が作・演出する屋根裏ハイツでは、部屋を舞台にした演劇ばかり作っていて、「部屋から出られない」みたいな状態になっていました。小劇場の舞台だと部屋くらいのちょうどいい塩梅のスケールの作品しか物語を立ち上げることが当時はできなくて。というか、そういう単位でしか演劇を捉えられなかったんですね。
しかも、そういった感覚を共有できて、実直にそのことに取り組んでる人って意外と周りにいなかった。それで、そのときは福井くんの作品にそういう「部屋」みたいな共通する部分を感じて声をかけさせてもらいました。
福井
ぼくも当時、現実の空間と地続きで上演を始めることにずっとこだわっていたので、おのずと日常の生活の場面や、そこでの所作や振るまいが作品の題材や素材として選ばれて、結果「部屋」のスケールに依存するような作り方になっていました。それは中村さんの状況とも似ていたのかもしれません。
それから中村さんと話して、やるならせめてもう一人いた方がいいなと。それで京都で知り合いだった野村さんに声をかけました。
野村
ちょうど、その直前に『墓を放棄する部屋』っていう作品を作っていたんですよ。「部屋と演劇について考えたい」って言われたとき、確かにぼくも関心があるし、じゃあ、試しにスタート切りましょうか?ぐらいの温度感で始まったように記憶してます。
中村
それは今も変わってなくて、ガチガチに企画やコンセプトがあるわけではないです。
福井
良い意味でも悪い意味でも、そういう温度感のまま5年続いて今、という感じですね。最初はただの横のつながりぐらいの感覚だったんですけど、次第に「部屋と演劇」という団体みたいになってきて、それはどうなのかなと感じています。
野村
最初はハッシュタグだった。「#部屋と演劇」。
福井
そうそう。ゆるやかにテーマは共有しつつも、あくまで同じ場所でそれぞれ自主公演をやろうっていうだけで。
中村
そのチラシになぜか「#部屋と演劇」って入ってる。そこが始まりでした。
「部屋と演劇」が団体っぽくなってきたことについて、どうなの?みたいな話は、今回の準備段階でもしてはいたんですけどね。
野村
5年前と今とではだいぶ違ってて。というのも、ぼく個人で言えば、当時はふだんの関心と重なっていたんですよ。自分の団体での活動に加えて、こっちでもやってみよう、というか。そこから5年経って少しずつ変化があって、今ではふだんの活動と「部屋と演劇」での活動がそれぞれ独立してきている。だから、今回は切りわけて「「部屋と演劇」はこういうことをする場です。なぜならばこういう集まりだから」みたいなことをあらためて考えたくもあった。それで、壁・床・天井にバラしてみて、それが何なのかについて考えるきっかけにしましょうという話を3人でしていました。
<壁(中村大地)>
STスポットと同フロアにある喫煙所。それを村岡佳奈(屋根裏ハイツ)がSTスポットの空間にできるだけ忠実に再現しようと試みる。中村も舞台上にいて、稽古さながらに演出家と俳優が空間を立ち上げていくプロセスそのものが上演として行なわれる。
2
――今回は壁・床・天井を3人で分担されていましたが、3日間のSTスポットでの創作期間はお互いにリハーサルを見て、意見を出しあって作っていかれたそうですね。それはこれまでの進め方とは違ったんでしょうか?
中村
全然、違うと思います。昨年の「部屋と演劇vol.1」でもアドバイスをもらうというのは、若干ありましたけど。今回が一番、お互いに見合っていました。
野村
それは多分、自分も出ているから見れないっていうのがあって。客席から見てもらう人がどうしても必要だったっていうことだと思います。
福井
あと、タイトルどおり、壁・床・天井の3つを通して1つの試みという共通意識があったから、というのもあると思います。
中村
STスポットに入る前に打ち合わせをして、多少の準備はしましたけど、でもこれまで以上にこの場所に入って3日間でドンって感じで作ってはいました。
壁→床→天井って順番を一応決めて、時間もだいたい1時間くらいで稽古を回していって。お互いの稽古を見合いつつ、自分の作業もしつつ、抜けたい時は抜けて、でも誰かしら見てるみたいな感じで過ごしていました。
野村
ただやっぱり、3日間でできることをやるのか、やりたいことを3日間かけてやってみるのか、そこの違いは大きかったですね。
ぼくは今回は後者の考えで臨んだんですが、企画に見合う創作日数ではなかったと思います。
とはいえ上演と言っている以上、精度も求めたくなるし、でも本当はもっと手前のことを考えてもいるので稽古場的な時間を共有するような方法でもよかったかもしれない、という悩みが大きくなってしまいました。やる方も見る方も気楽に集まれるオープンスタジオ的な開き方もあったように思います。
福井
ぼくは「部屋と演劇」では、それ自体の質や精度を問うより、まずは上演という形式にこだわってやることが大事だと思っていて、今回もそういうモチベーションでした。もちろん外側はもっと整える余地があるけど、あくまで上演を通して考えるということを前提にしないと、何の集まりなのかよくわからなくなるなと。
コロナ禍で間が空いてしばらくの間、3人で集まって話したり遊んだりして、お互い仲は深まったけど、クリエーションからはすっかり遠ざかってしまって。それから「とにかく一度なんかやろう」と集まったのが、昨年のSTスポットでの上演に至る流れです。
中村
いまぼくが2人の話を聞きながら思ったのは、その上演のための時間のかけ方がそもそも3人とも全然違うんだろうなということですね。ふだんの現場での創作の立ち上げ方も全然違うと思う。それがこの3日間という短期間でやったときにかかる負荷とも関係してるんじゃないかな。
ふだんの話をすると、ぼくは確実にまず台本があるので。もちろん、書き終わってから稽古が始められるほど筆は早くないんですけど。でも、これがものすごい根拠になっている。
一方で2人は台本を書かないで稽古を始めるし。福井くんはたぶん相当、集まって稽古する回数は少ない。逆に野村くんは始まった時点でゴールは決まっていないことが多い。
野村
そうかも。今年の5月に上演した『吉日再会』という作品はスタートしてからで言うと3年ちょっとかかってます。
月に1回の稽古で、途中であいだが空いて、みたいな感じで。でもそっちの方がしっくりきてるんですよ。「あ、これいけるぞ」っていうタイミングに上演するっていうスパンなんですよ、今。ただ、それは個人で作品をつくるときのスタンスで、所属してるレトロニムだとそのあいだぐらいですかね。主催の企画はあまりしてないので、声がかかってから動いてます。
福井
ぼくは野村さんと比べると短期間でガッと集中的に作ることが多いので、今回のような作り方にはいくらか馴染みがあるし、たしかにそういう違いはあったかもしれないです。
野村
結果的に、ぼくにとって短期間での上演は難しく、「部屋と演劇」については作り方の発明が必要だと感じました。
<床(福井裕孝)>
冒頭、上演にあたってSTスポットの床に置いてあるものをすべて預かりたいと福井からアナウンスがある。観客は手荷物を福井に預け、無人の舞台上に整然と並べられた自分の荷物を渡された番号札と引き換えに上演が終わるまでに回収していく。
3
――今回、3人の発表を拝見して、「上演」についてのいろんなパターンが見られたなと感じました。三者三様、上演っていうものに対する考え方の違いがはっきり出ていたと思うんですが、みなさんは上演ってどういうものだと考えていますか?
中村
ぼくの場合は、フィクションの時間といまここの見てる人との時間が結ばれるっていうことだと思います。ほんとうに素朴ですけど。
でも、それを屋根裏ハイツではずっとやってるし、その現実からクッて浮く時間がぼくは好きなんですよ。
今回の「壁」の発表は、当初、考えていた形式とは結果的に変わっていきました。もともと出演者は村岡だけのつもりで。ぼくも出るかたちで、リハーサルを見せようとは思ってなかったんです。
それが初日の稽古で、このプロセスをむしろ見せた方がいいんじゃないか、伝わるんじゃないかっていう意見が出て、それに乗っかるかたちでつくりました。
STスポットに入るまで考えていたのはもう少しシンプルで。村岡が喫煙ルームにいって、タバコを吸ってという行為を3回繰り返す、それを見せるという形式でした。その喫煙ルームのスケールを毎回変えるといったような……結果的には、稽古場でのやり取りを含めて見せるというかたちになりました。
それはふだんの自分の作品のバランスからするとかなり上演から遠いものではありました。
ぼくの場合、今年の5月にせんがわ劇場演劇コンクールに参加して、そこからの問題意識がこの企画にまっすぐ繋がっています。これまで演出家としてやってたこと、壁によって規定された空間をそのまま家のリビングにする、というようなこと、空間に頼って作品をつくるということを考えたかった。そのトライアルをやれたという手応えはありました。
ただ上演の結果にそれがあらわれてたかというと、正直こぼれてしまったものも結構あったと思います。
福井
上演がどういうものかは一概に言えないのですが、最近は観客との関係、その場の集まり方を定義しなおすようなことを考えながらつくっています。
今回やったのは、上演をはじめる前に、STスポットの「床」の上にある備品や観客の荷物を全部集めて舞台上で預かるということですけど、見る/見られるのほかに、ものを預ける/預かるという構図を持ち込むことによって、その場の空間の配置や関係性を編成しなおす。そのあとの上演は、基本的に始まりと終わりの時間を設定して「この間に預けたものを取りに来てください」とお願いしただけです。
演劇で「床」というと、まず問題になるのはやっぱり舞台の床なので、客席や通路も含めて「床」の上にあるものを一度舞台上に集中させることで、舞台の床を舞台たらしめている何かを感じさせるようなことができるんじゃないかと考えていました。
ふだんから「床」のことばかり気にして作品をつくってきたので、あらためて何かできることがあるかわからなかったんですが、個人的には上演としてもいいものができたと思っています。
野村
上演がどのようなものか以前に、最近ではまず誰と出会うかが重要で、そこから演劇が始まります。その誰かとの関係の中で、観客は誰なのか、観客席はどこに置くことができてどうデザインできるのか、という順番で考えています。上演はそのさきにあるもので、場合によっては展示の形になったりもします。上演の場合、重要なのは観客席で観客が混ざることです。混ざることができるだけの客席の数が並ぶことだったり、空間のサイズだったり、上演日数だったり、当たり前ですがそういうことを大切にしています。
同時に、そこが「天井」の発表ではあまりうまくいかなかったと感じてる点でもあります。というのも、観客が誰なのかよくわかっていなかったというのが……。
福井
どういう人たちが、何を思って来るのかっていう。
野村
そう。
中村
こんな口を揃えて言うことじゃないかもしれないですけど、今回は特にそこが曖昧だった気がします。
福井
自分たちの取り組みについて、もっと言葉を尽くさないといけないという反省はまずあるのですが、その上で見に来てくださった方々は、どういった関心や期待を持って来てくださったのだろう、みたいな。
野村
もちろん、いろんな人が見にこれるという客席の多様さは大事なのですが、それは誰が来るのかわからないことと完全にイコールではないと思いますし、ある程度の目論見をお互いに持って観客と関係するのは上演にとっても大切なことだと思います。
福井
これまでも度々話してきたけど、「部屋と演劇」における観客の位置付けについては、もっと考えないといけないですね。部屋と観客、観客と部屋……?
野村
感覚的には、それに一番近いかも。観客と部屋。
中村
そうですね。ただ、言葉にしようとすると、抽象的だったり、掴みかねるような部分がたくさんあったりすると思うんですけど、でも「部屋と演劇」の現場でやってることは素朴っていうか、そういう距離感でやってきてるっていうのは、いいなと思ってます。
<天井(野村眞人)>
STスポットの天井の声が劇場のスピーカーから流れてくる。上演が始まると、劇場内にある各設備が照明によって照らされ、天井は語り部となってそれぞれの歴史を紹介していく。やがて観客は劇場以外のさまざまな場所の天井についても想像を巡らせることになる。
部屋と演劇 :
普段演出家としてそれぞれ活動している中村大地(屋根裏ハイツ)、野村眞人(レトロニム)、福井裕孝の三人が、上演とそれが行われる空間との関わりについての関心や問題意識を共有するために、2019年6月からおよそ月一ペースで集まって話したり企画を実施したりしている。2023年8月『部屋と演劇』vol.1をSTスポットにて開催。
中村大地(なかむら・だいち):
劇作家、演出家。1991年東京都生まれ。東北大学文学部卒。在学中に劇団「屋根裏ハイツ」を旗揚げし、8年間仙台を拠点に活動。2018年より東京に在住。人が生き抜くために必要な「役立つ演劇」を志向する。『ここは出口ではない』で第2回人間座「田畑実戯曲賞」を受賞。「利賀演劇人コンクール2019」ではチェーホフ『桜の園』を上演し、観客賞受賞、優秀演出家賞一席となる。近年は小説の執筆など活動の幅を広げている。一般社団法人NOOKメンバー。2020年度ACY-U39アーティストフェローシップ。
https://yaneuraheights.net
野村眞人(のむら・まさと):
レトロニムの演出家。京都を拠点とする。演劇は引用可能な制度であると考え、ひとの精神のありようや経験をモチーフとする作品を劇場内外で制作している。こまばアゴラ演出家コンクール2018最終上演審査選出、利賀演劇人コンクール2018観客賞、優秀演出家賞受賞。大森靖子ファンクラブ会員。また、俳優として村川拓也演出作品や庭劇団ペニノなどに参加し、国内外での出演経験多数。
https://theatre-sokudo.jimdofree.com
福井裕孝(ふくい・ひろたか):
1996年京都生まれ。演出家。人・もの・空間の関係を演劇的な技法を用いて再編し、その場の状況を異なる複数のスケールやパースペクティブから再提示する。近作に『インテリア』(2018,2020)、『シアター・マテリアル』(2020)、『デスクトップ・シアター』(2021)など。下北ウェーブ2019選出。公益財団法人クマ財団クリエイター奨学金第二期生。ロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラム“KIPPU”選出。2022年度よりTHEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。
https://www.fukuihirotaka.com
【公演情報】
『部屋(壁・床・天井)と演劇』
2024年8月3日(土)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=12095