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時間を経ることで語れるもの ―屋根裏ハイツ(中村大地・村岡佳奈)インタビュー|2023年1月

2023年1月18日(水)14:59STスポット

屋根裏ハイツ『父の死と夜ノ森』が1月19日(木)~22日(日)にSTスポットで上演されます。
マレビトの会『福島を上演する』プロジェクトの一演目として、フェスティバル/トーキョー18で初演された松田正隆の『父の死と夜ノ森』。この戯曲に若手劇団・屋根裏ハイツが挑みます。

物語の舞台となるのは、福島県の富岡町といわき市です。初演時は、震災の影響でJR常磐線の富岡-浪江間の運転が途絶えたままでしたが、2020年3月に全線が開通し、夜ノ森駅や富岡町、いわき市の風景は確実にその頃から変化していることでしょう。
また、約4年という歳月を経て変わったのは街の風景だけではないはずです。

今回、新たに上演される屋根裏ハイツの『父の死と夜ノ森』では、どんな情景が立ち上がってくるのか。屋根裏ハイツから演出の中村大地さんとメンバーで今作に出演する村岡佳奈さんのおふたりにお話を伺いました。


『とおくはちかい』(2017年/せんだい演劇工房 10-BOX box-1)撮影:岩渕隆

仙台と東京、横浜

――屋根裏ハイツは2013年に東北大学学友会演劇部のメンバーで結成されました。劇団を立ち上げるにあたって、なにかきっかけはあったんですか?

中村
もともと、屋根裏ハイツは劇団として立ち上げたわけではなくて、当初はワークショップ研究会みたいな少人数の集まりでした。
そのうちに、メンバーのひとりが「作品をつくりたい」と言いだして、C.T.T.sendai Vol.5試演会という企画に参加したのが始まりです。

2010年にぼくは大学進学のタイミングで東京から仙台に引越しました。
演劇ももともとやりたいと思っていたわけではなくて、新歓の花見に行ったらおもしろい人がいっぱいいて、その独特な雰囲気に惹かれて演劇部に入ったという。
だから舞台にも立ちたくないし、演出しようなんて思ってもなかったです。
それで大学時代は音響をやってました。いまもそれは続けてます。

村岡
わたしは仙台市の出身で、高校生の頃に部活でヒップホップダンスを踊っていました。そこでステージに立つ楽しさを知り、県内で舞台表現が学べるところを探して、東北学院大学に入りました。
東北学院大学には演劇のゼミがあるんですけど、教養学部言語文化学科っていう、言語学や文化学を学べるコースの中に。そこは卒論を書かないでシェイクスピアの劇を一本上演すれば卒業できるんですよ。

中村
なにそれ(笑)。

村岡
わたしが所属していたのは東北学院大学の演劇部だったんですが、在学中から横のつながりがあって、それで中村たちとは知り合いました。

中村
当時、屋根裏ハイツにはメンバーが5人いて。ぼくと、ひとつ下の学年の後輩が4人。そのうちのひとりが渡邉時生くんでした。彼は2年生のときに演劇部に入ってきて、写真部と兼部していました。

村岡
わたしは『暗くてなるものか』(2014)という作品に客演して、『二十一世紀旗手』(2015)の手前で劇団員になりました。

中村
そこから各々が大学を卒業していくタイミングでどんどんメンバーが抜けていって、いま残っているのがこの3人ですね。

――屋根裏ハイツには「卒業しても続けるぞ!」みたいな熱い夜はあったんですか。

中村
熱い夜は一度もないかもしれない。ないよね?

村岡
ないですね。

中村
続けようみたいなのもないし、ぼくらは劇団として仙台から東京に進出しよう!と思って出てきてないんですよ。
時生くんがぼくより先に卒業して。いや、時生くんが先に卒業するのは変な話なんだけど(笑)。彼がまず仙台から離れて、東京の大学院に進学したんですよ。2015年に。

村岡
わたしはわたしで、2017年くらいに東京に行きたくなって上京して。

中村
ぼくも実家の都合で2018年に東京に戻ってきました。それで気づいたら「みんなこっちにいるね」みたいな。だから、この3人でやるっていう感じが出てきたのは、2019年ぐらいからですかね。

ST スポットで公演させてもらったのは、2017年の『とおくはちかい』という作品が最初なんですけど、そのときはまだ拠点が仙台で、ツアーというかたちでの公演でした。
2018年の『ここは出口ではない』も、みんな東京に出てきてはいたんだけど、作品は仙台で創作しました。

『ここは出口ではない』(2018年/STスポット)撮影:本藤太郎

――2018年には拠点を仙台から東京、横浜に移されました。それぞれの環境の違いについてなにか感じることはありますか。

中村
東京に比べればもちろん劇団の数は少ないですけど、仙台もぼくらがいた頃はわりと演劇が活発な印象はありました。
2011年の東日本大震災以降、東京からアーティストがたくさん来てワークショップを開催していて、学生がそういうのに参加していくと、学外とのつながりもどんどんと増えましたし。大学の先輩が「短距離男道ミサイル」、後輩が「コメディアス」という劇団を立ち上げたりもしていて。

村岡
せんだい演劇工房 10-BOX」がハブみたいになっていて、そこに行けば誰かがいるので、お茶したりとか、おしゃべりしたりとかしてました。職員さんたちも理解があって、よくお話していました。

中村
だから、仙台との違いというと、10-BOXがないのは大きいですね。
10-BOXは、稽古しやすいし、道具も作れるし、物もずっと置いておけるし、とてもいい環境でした。

村岡
上京してからだと、2021年に「円盤に乗る場」のアトリエができて、そこに屋根裏ハイツも参加させてもらっています。

中村
「乗る場」の存在は大きいですね。そもそも作品をつくるためじゃなくて、ふらっと定期的に集まる場所があるというのが、「乗る場」のよさかなと思いますね。
それと、STスポットにはお世話になっています。去年は夏の「戯曲を遊びたおす研究室」にはじまり、今回の公演までおんぶにだっこで使わせてもらっていて、めちゃくちゃありがたいですね。

村岡
それこそ仙台にいたときの10-BOXと近い感覚で使わせてもらってます。スタッフの方も親身になって相談にのってくださいますし。

中村
あと、やっぱり STスポットが いいなと思うのは、俳優の身体がよく見えるところですね。
ブラックボックスの劇場だと手の微妙な動きみたいなのが気にならなかったりするんですけど、 STスポットはそういうところまでしっかり見られるというか。発見がありますね。自分たちがやってることとあってると思います。
もちろん、もうちょっと大きいところ、東京芸術劇場のシアターイーストとかでやりたいっていう欲求もあるんですけど。

――屋根裏ハイツというと「声が小さい劇団」と評されることもあり、中村さんはそれを呪縛のように感じていたとWEBに書かれてもいました。作風というのは『とおくはちかい』(2017)から一貫しているのでしょうか。

村岡
『再開』(2016)まではモノローグのみの作品だったので、ダイアローグのある芝居ができないという課題がありました。
そこで会話劇をしてみようということで取り組んだのが『とおくはちかい』でした。この作品はひとつの部屋を舞台にした二人芝居です。
それは評判がよくて、『ここは出口ではない』でも同じくリビングを舞台にした作品をつくったら、今度は気づいたら部屋から出られなくなっていました(笑)。
それで、場面転換がどうやったらできるのかみたいな挑戦を始めたんです。

中村
『寝床』(2019)『私有地』(2019)では、登場人物の会話だけじゃなくて、舞台上の空間をどんどん移動させていくみたいな実験をして、どうやったら空間を捩れさせられるかということを試していました。あと、この頃は一人の俳優が複数役やるとかもやっていました。
そこでの発見は、今回の創作にもかなり生かされています。

『寝床』(2019年/SCOOL)撮影:本藤太郎

震災と演劇の距離

――STスポットで上演された『とおくはちかい』と『ここは出口ではない』。この二作品は再建設ツアーとして2020年に仙台と東京で再演されました。
『とおくはちかい』は震災が背景にあり、『ここは出口ではない』は死者の問題が扱われています。初演から時間が経過したことで新たになにか気がついたことはありましたか?

中村
初演の『とおくはちかい』は自分たちでも手応えのあった上演だったんですけど、再演のときの『とおくはちかい(reprise)』は、仙台に比べて東京ではそこまで観客に響いていなかったように感じました。もちろん当時の、新型コロナで演劇を見る習慣が一旦途絶えて、恐る恐る劇場に通いはじめたという状況もあるかと思いますが。
『ここは出口ではない』は普遍的な物語なので、どの土地で上演しても比較的フィットすると思うんです。
でも『とおくはちかい』はそうじゃない。この作品は被災地の当事者性の高い人と低い人の会話で構成されているので。
観客は、ぼくらが仙台から来たカンパニーという情報を事前に知っていることもあって、東京だとどうしても当事者の話を聞かされるみたいな感覚で見てしまうというか。そこにフェアじゃない部分が入り込んでしまうのかなと感じました。
仙台だとどちらの人物にもわりとフォーカスしやすかったのかもしれません。

ただ、震災との距離や、記憶が薄れていくということについて、最近、ひとつ思ったことがあります。

昨年の11月に「一般社団法人NOOK(のおく)」のプロジェクトで「カロク・リーディング・クラブ」というイベントがありました。それは、小森はるか+瀬尾夏美の映像作品『波のした、土のうえ』を岡山と東京の二会場で同時に見て、それをもとに感じたことを参加者がゆるゆる喋るみたいな場でした。

そのときの岡山と東京での作品に対する受け止め方の差が印象的だったんです。
岡山の人たちは内容を対象化していて、この人どういう気持ちなんだろうとか、ある意味いい距離感で喋れていたんですけど、東京はけっこうヒリヒリした感じの空気が漂っていました。もちろん、東京もおだやかでいい場ではあったんですけど、忘却の是非とか、震災当時の経験について話していて、かなりヒリつく雰囲気があったような気がしていて。
ぼくにはそれが震災から4年目くらいの仙台内陸部の空気と似ているように感じられました。表面的には日常の生活を取り戻しつつも、生々しい記憶がまだみんなの胸のうちでくすぶっていた。あの感じを思い出したんです。
震災直後は多くのメディアがあの体験を言語化していましたよね。でも、時間が経つにつれて触れられなくなっていき、その間、東京で暮らしている人たちは震災から4年目5年目くらいの感覚を、自分の言葉で語るチャンスがなかったのかもしれないなと思ったんです。

でも一方で、時間が経つと喋れることもたくさんあると思うんですよ。ぼくも『とおくはちかい』は、6年経って、10年経ってようやく描くことができたことがいっぱいあったので。
もしかしたら震災から12年が経って、また違うかたちで、東京や他の都市でも喋ることができるようになるのかもしれません。それは20年、30年後のことなのかもしれませんが。

『とおくはちかい(reprise)』(2020年/こまばアゴラ劇場)撮影:本藤太郎

――演劇のメディアとしての特性はどのように捉えていますか?

中村
ぼくはここにないものを想像させるってことがすごく好きなんです。その時間が演劇を見ていて幸福な瞬間なんですね。
ぼくらの作品もそうなんですけど、語っていない部分というか、語っていることで目の前にはないけど、想像で風景を見たりすることが快楽になると思っています。

一方で、見てるとあんまり気にならないというのがすごく演劇の強みというか。
たとえば、いまぼくが舞台上にいて、カフェにいるという状況だとするじゃないですか。そこに突然、もうひとりの人物がふらっと出てきて、公園にいるみたいな演技をはじめるとしますよね。
それは互いに干渉してるはずなんだけど、意外と観客はそういうこととして飲み込めちゃうというか。これが映画だと意味がわからなくなってしまう。それが演劇だと、舞台上にある身体がいまどこにいるのかというのが、自由に揺らいでも大丈夫なんですよね。
そこが演劇の特徴的なところだし、おもしろいところだと思っています。ぼくらはそれを使いたおしてるっていうイメージですね。

村岡
映像的な演技と演劇的な演技とではちがうと思うんですけど、わたしの場合、演劇はその俳優の演技をとおして観客が捉えたものが作品になるというところかなと思っていて。
舞台上で完結してない。しかも、舞台上も影響を受けられるというか、観客が物語の方に集中してそうだというときと、この俳優が動いていることに注目してそうだというときでは、客席の方から伝わる空気感がちがうような気がしています。
それは演劇という媒体じゃないと起こらない変化だろうなっていうふうに思います。

不完全な状態で観客に手渡す

――1月19日からは松田正隆さんの戯曲『父の死と夜ノ森』をSTスポットで上演されます。福島県富岡町・いわき市を舞台にした本作は、登場するシーンの数が多く、ト書きの風景描写だったりセリフのないモブの人物がでてきたりと、どう上演するのか想像がつかない戯曲でもあります。
今回、リサーチで富岡町に足をはこばれたそうですね。

中村
この戯曲を選んだのは、初演を観たときに、とにかく面白い戯曲だと思ったからです。
セリフがいいなと思って。とくに終盤の長台詞のところとか、かなりフィット感がありました。
あとは、読んで、どうやってやったらいいかわかんないから。それが理由ですね。大変そうなのを、ちょっとやろうかみたいな(笑)。

屋根裏ハイツは大体、ワンシチュエーションの会話劇が多いので、最初に空間を決めちゃえさえすれば、あとはそこで喋ってくれれば大丈夫なんですけど。
この作品はゼロイチでシーンを立ち上げる作業をとにかくたくさんやらなきゃいけなくて。
いやあ、マジで大変です(笑)。

富岡町を訪れたのは、最初から企画していたわけじゃなくて、座組のみんなで喋ってたら見に行きたいみたいな声が多くて。残念ながら全員では行けなかったんですけど。

村岡
戯曲の中に場所の固有名詞が出てくるト書きが多かったので、どうしてもやっぱり地図上で見ただけでは、想像ができなくて。稽古していると、どうしても地面が揺らぐ感覚というか、共通の空間に立っている感覚が持ちづらそうだなっていうところが大きかったです。

中村
それで「humunus(フムヌス)」のキヨスヨネスクくんと、富岡町出身で在住の秋元菜々美さんに、富岡を案内してもらいました。
もちろん事前に戯曲は渡してましたけど、彼らがふだんやってるツアーパフォーマンスと同じように、「千年前に一意法師がきた浜です」みたいなところから富岡を歩いてもらうようお願いしました。
実際に歩いてみると「この戯曲、たしかにここを歩いて書かれているわ」みたいな感じがするというか。

それと、初演を観たときに感じた福島からの遠さみたいなものを、今回はちょっと新しいピントで捉えなおしてみたいというのがあって。

福島県富岡町のリサーチ風景

村岡
これまでの屋根裏ハイツとはテキストの毛色が違うので、当然、アプローチも違うんですけど、基本的にはまずやってみて、それがどう見えたかを共有するというプロセスは変わっていません。
中村がパフォーマンスから見えたことを教えてくれるので、そこからどう見えたほうがいいかを出演者も演出も関係なく話し合って、「じゃあこうしてみようか」みたいな。
だから話している時間がすごく長い稽古場なんですけど(笑)。

中村
とくに今回は俳優も「どう見えてる」みたいなことをよく発言してくれています。ありがたいです。
やっぱり、今まではいかにみんなでつくってるとはいえ、ぼくが喋っている時間が一番長かったので。
なので、もちろん最終的な決定はぼくがしていくんですけど、ある意味こんなに演出してない稽古場は初めてです。

――昨年の夏には「戯曲を遊びたおす研究室」という4日間のワークショップもSTスポットで開催されました。

中村
2022年は「外に出る練習」という標語を劇団で掲げて、活動を広げていくことに取り組んだ一年でした。その一環として、自分たちがふだん稽古場でやっていることを分解して外に持ち出してみようと企画したのが「戯曲を遊びたおす研究室」です。

ワークショップでは、今回の上演に先立って、10名の参加者とともに『父の死と夜ノ森』の戯曲から抜粋したシーンをどうやったら演劇として立ち上げることができるかをいろいろと試してみました。
初めての試みだったので最初は不安もあったんですけど、結果的にとてもいい時間になりました。

村岡
ワークショップでは「不完全な状態で観客に手渡す」ということを参加者の人たちと試していました。何か欠けている状態で舞台上に物を置くと、欠けた部分を補おうとお客さんの側が想像する。それを肯定的に使いましょう、と。

それは今回の稽古にも引き継がれていて、戯曲に書かれた一行をやるかやらないかを俳優から提案して、それをみんなで話し合って進めています。「ここは欠けさせよう」とか、「ここは省略いけんじゃないか」みたいな。それで試してみて、「あ、ここは省略しちゃだめか」っていう発見を繰り返しています。

中村
観客もなにか一個キャッチするものがあって、それをうまくキャッチできれば想像できることってあると思うんです。

たとえばコップで水を飲むって動きをマイムでするとするじゃないですか。それで、俳優がコップを口につける瞬間の演技を見逃したとします。そうすると、手にある円筒状のものが観客には何かわからなくなりますよね。
演出が言うことじゃないと思うんですけど、ぼくもけっこう見落とすんですよ(笑)。そうすると「あ、やっぱ見えないね」みたいな。
でも、見えないっていうのはいいことでもあって。じゃあ他になにか見えるかとか、もっとフックが必要なのかとか、別にコップが見えなくてもいいじゃんっていうことにしよう、みたいな検討の余地が生まれるので。

『父の死と夜ノ森』のリハーサル風景

――最後に、今後の活動についても教えてください。

中村
2023年の目標は、短編のレパートリーをもう少し増やしたいと思っています。
『ナイト・オン・アース』(2021・2022)って、パイプ椅子が3つあればできる作品なんですけど、そういうフットワークの軽い、ショーケース企画に参加しやすそうな「フッ軽」プログラムをいくつかつくりたいと考えてます。

あとは、12月にこまばアゴラ劇場で新作の長編を上演することが決まっています。
内容は、20〜30代の若い人が暮らすシェアハウスに、60代の未亡人が突然放り込まれるっていう話になる予定です。

『パラダイス』(2021)は、「理想のコミュニティ」について考えてつくった作品でした。伝統的な共同体が崩壊していく中で、どう新しいコミュニティを構築していくのかということに関心があります。
「核家族」って日本の高度経済成長で生まれたシステムでしかなくて。これからの時代、家族じゃなくても、人はちゃんと死ねるかとか、無事に生き延びられるのかっていうことが大事になっていくと思うんですよね。
行き過ぎた個人主義でもなく、かつての村社会的な、過度に依存しあう関係でもない道を考えたくて。それを『パラダイス』よりももうちょっと明るく書きたいなと思ってます。

そして、今度こそ脚本を書くペースを変えます。〆切を設ければ執筆するってことがわかっているので、8月にリーディング公演をしようかと。そうすれば、自ずとそこまでに書きあげられるはずなので。

村岡
そうですね。楽しみにしてます(笑)。

取材日:2023年1月5日(木) 取材・構成:萩庭 真


屋根裏ハイツ
2013年、仙台を拠点に設立。2018年より活動拠点を東京・横浜に移す。現在メンバーは中村大地、村岡佳奈、渡邉時生。少数のメンバーで話し合い、人が生き抜くために必要な“役立つ演劇”を創出することを目的とする。『再開』(2016)にて、民話における口伝とそのあり方を創作に取り入れたことを契機に、話を良く聞く身体をモデルとして舞台に置く会話劇を制作。最終的には家を建てたい。

【公演情報】
屋根裏ハイツ 7F演劇公演 『父の死と夜ノ森』
2023年1月19日(木)-1月22日(日)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=9537

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