2019年1月31日(木)21:00STスポット
昨年に引き続きTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)フリンジに参加し、STスポットセレクションを開催いたします。今年は利賀演劇人コンクール2016観客賞を受賞した三浦雨林率いる隣屋と、映画監督として活躍する太田信吾が新たに立ち上げた演劇ユニットハイドロブラスト、ダンサー・アーティストのAokidにご参加いただき3つのプログラムを開催いたします。開催に先駆けて、隣屋の三浦さんとハイドロブラストの太田さんにインタビューを行いました。
三浦雨林
1994年生まれ。演出家、劇作家。隣屋主宰、青年団演出部所属。自身が主宰する隣屋では全ての演出を担当。生活の中から飛躍をしない言葉と感情の再現を創作の指針としている。2015年「シアターグリーン学生芸術祭 vol.9」にて《優秀賞》受賞、2016年「道頓堀学生演劇祭vol.9」にて《優秀演出賞》受賞、「利賀演劇人コンクール2016」にて《観客賞》を受賞。
【公演情報】
STスポットセレクションvol.2
隣屋『あるいはニコライ、新しくてぬるぬるした屍骸』
2019年2月9日(土)-2月11日(月・祝)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=6102
-なぜ既存の小説・戯曲を原案にして公演をすることが多いのでしょうか
率直な言葉で答えますと、私が既存の作品を原案にして戯曲を書くのは、演劇で物語を表現したいわけではないからです。
私は、見ている方一人一人がそれぞれ自分の中で誰とも違う記憶や個人的な気持ちに結びつくような、限りなくパーソナルな感情を引き出すような作品創りを目指しています。そのために必要なものは物語ではなく、解体された言葉や記憶のようなものが曖昧に連なり、一人一人が取捨選択できるような言葉選びの方がよりよい方法なのではないか?と考えています。なので今は、既存の偉大な作品を原案にして、私も表現したいことを取捨選択しながら劇作をしているところです。日々、新しい方法を探しているところですが、今のところは原案有りで試行錯誤を続けています。
-今回はどうしてこの作品を再演することにしたのでしょうか
以前から“再演”ということ自体に興味がありました。新作ばかり上演してきたので、再演は今回が初めてです。何故この作品を選んだかについては、この『あるいはニコライ、ぬるぬるした屍骸』が私にとっても隣屋にとっても大きな分岐点になった作品だからです。生演奏で上演を始めたのも、私の戯曲のスタイルが決まり始めたのも、この作品でした。初演は2016年なのでまだ3年しか経っていませんが、その間に私も隣屋もいろんな体験をして、いろんな作品を創りました。正直、どうして今回”再演”にしようと思ったかはうまく言えないのですが、なんとなく、今あの最初の一歩のような作品を再演したいな、また新しく私たちの演劇について考えてみたいなと思ったからのような気がします。
-今回のクリエイションでは何を大事にしていますか
原案『光は闇の中に輝く』は新しいキリスト教に想いを馳せ、生活を何もかも捨てて家族を路頭に迷わせてしまう主人公ニコライとその家族の物語です。ニコライは家族や周りの人々を散々混乱させ、最後には悲惨な結末を迎えます。私たちの『あるいはニコライ、新しくてぬるぬるした屍骸』はそんな原案を元にし、”入れなくなってしまった土地”と”それぞれの信仰”を主題として、ニコライの妻が彼を捨てられなかったのはなぜか、そして今生きている私たちの体験や未来についてを描きます。
そんな作品を創るにあたって大事にしていることは、私たちの演劇について今一度真摯に向き合うことです。型や固定概念のようなものについて考え直し、0から演劇を創るということはどういうことか、私たちが目指す演劇とはどんな作品かを確認するように新しいものを見逃すまいと丁寧に形作っています。
クリエイション自体は俳優3人・ダンサー・演奏・照明と少数精鋭で行なっておりますが、草原でも大劇場でも街中でも、どんな空間にも伸び縮みする不思議なぬるぬるした作品ですので、今回で終わりではなく、またどこかいろんな場所で上演を出来ればと思っています。
みなさまのご来場お待ちしております。
太田信吾
1985年生まれ。早稲田大学文学部哲学専修にて物語論を専攻。大きな歴史の物語から零れ落ちるオルタナティブな物語を記憶・記録する装置として映像制作に興味を持つ。処女作のドキュメンタリー『卒業』がイメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画となる『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2013で公開後、世界12カ国で配給される。俳優としてチェルフィッチュなど演劇作品のほか、TVドラマに出演。2017年には初の映像インスタレーション・パフォーマンス作品を韓国のソウル市立美術館で発表した。テレビディレクターとしては「情熱大陸」(TBS)、「旅旅、しつれいします」(NHK総合)などの演出を担当。釜山国際映画祭ACFを受け台湾・韓国との長編劇映画の制作準備も進めている。
【公演情報】
STスポットセレクションvol.2
演劇ユニットハイドロブラスト『幽霊が乗るタクシー』
2019年2月15日(金)-2月17日(日)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=5961
-ドキュメンタリー映画の監督がどうして演劇ユニットを立ち上げようと思ったのでしょうか
映画の上演形態を自分なりに探り、更新していきたいと考えたためです。ドキュメンタリーは私にとって新たな発見や価値観を掴む場です。議論の種を育む場です。それは制作者としても、鑑賞者としても。例えばこれまで制作した作品には、”自殺という行為にも才能の有無はあるのではないか?”、”生活保護はアーティスト保険と考える”など出会った人との関係性の中で生まれたテーマを散りばめてきました。そのボールが、スクリーンを超えて観客に届いた時、その関係性がわたしたちの日常を豊かにする、そう信じてきました。ただその手法を考えたときに、これまで当たり前のように考えてきた「上映」という形式ではないことを試していきたいと考えたのです。私は俳優でもありますので、身体性と上映を組み合わせることでドキュメンタリーはよりライブ感を増し、強度を増すと考え、ハイドロブラストの活動を始めました。これからもパフォーマンス、映画、書き物、インスタレーション、テレビやオンライン、発表の場はその作品に応じて形態を変えて発表していきたいと考えています。
-2018年の秋に約1ヶ月のドイツでの滞在制作でクリエイションを行いましたが、いかがでしたか
私たちはエッセンという街のPACT Zollvereinという劇場に滞在しました。この劇場は世界遺産にも登録されている炭鉱遺構の一部をリノベーションした施設です。市内のアパート2棟に男女のそれぞれのクリエーションメンバーと分かれ滞在し、日々、劇場に通ってリハーサルを行いました。劇場のスタッフに「働きすぎじゃないか?」と心配されるくらい、滞在中は日本で書いていった台本を元にしたリハーサルに集中していました。劇場も、滞在したアパートも、街も、24時間、創作のことを安心して考えられる充実した環境で、劇場のスタッフの皆さんも僕たちのクリエーションを誠心誠意サポートしてくれました。滞在中にはピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団をはじめ、様々な現地のアーティストや、海外のカンパニー・アーティストとの交流の時間も取れましたし、街の歴史を学ぶ時間も取れました。かけがえのない多くの出会い、豊かな時間を過ごしました。
-今回のクリエイションでは何を大事にしていますか
「幽霊」を名詞ではなく、”死者に想いを馳せる”という行為として再定義する。それがこのプロジェクトのクリエーションにおけるコンセプトです。このコンセプトをもとに、本作では実際に私たちが東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市でのリサーチの過程で出会った死者の方々に、想いを馳せ、演じさせていただきます。なぜこのようなことを実践したいと考えたのか?
それは2010年の冬に私の親友が自殺をしたことが大きな理由です。一番、近くにいながらも救えなかったという罪悪感、生き残ってしまったという疎外感、そして自殺を許せないという怒りなど様々な感情に押し潰されそうになりました。次第に私は幽霊でも良い、彼に会いたい、話したい、私の思いを彼に伝えたい、そんな想いに駆られ、彼が自殺をした荒川沿いの公園を真夜中に訪ねたりするようになりました。けれども、いくら待っても、幽霊が現れることはなかったのです。
そんな最中、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。暫くすると津波で大きな被害を受けた東北の海岸沿いの街では幽霊を見るタクシードライバーが続出するという話を聞き、度々、私も現地を取材するようになりました。被災地の皆さんが、死者とどう向き合い、自身の生にその存在を反映させているか、学びたいと思ったのです。
街を歩き、様々な方に声をかけ尋ねて回りました。時には手ぶらで。時にはカメラを片手に。今回のプロジェクトに賛同してくれた俳優陣も同行してくれた時もありました。その過程で、噂や、又聞きレベルの心霊現象に分類されるお話も多く聞くことができましたが、私が、私たちこのプロジェクトメンバーが、何よりも胸を打たれたのは、実際に近しい方々を亡くされた方のお話でした。例えば、40代の娘を亡くされた女性は壊れたはずの古時計が鳴るという不思議な体験をしていました。高校生の息子を亡くした別の女性は今も息子の食事を食卓に並べて”一緒に”食事をしている、と語ってくれました。彼らにとって、幽霊は死者ではなかったのです。生きているのです。今も、彼らの記憶に。日常に。
そんな被災地の方々の死者との関係性の取り方を目の当たりにした私は、今、改めて”幽霊”という存在を定義すべきだと考えました。幽霊を”心霊”や”ホラー”という娯楽・消費の枠に閉じこめてはいけない。幽霊は私たちの暮らしにもっと積極的に作用をもたらしていい。幽霊と向き合うということは過去の悲劇や災害を”忘れない”という姿勢であり、その対話を続けることが同じ過ちを犯さないことにも、わたしたちの活力にも、繋がるはずです。そんなメッセージを、本作に宿らせるべくクリエーションを続けています。ご期待ください!
(構成:佐藤泰紀)