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「観察」がダンスになる。手塚夏子ワークショップ『体の観察→関わりの観察→実験作り』報告会『手塚夏子のベルリン観察ばなし』レポート|2018年8月

2018年8月05日(日)16:41STスポット

観察を通じて作品を制作してきたダンサー・振付家の手塚夏子さんのワークショップが7月16日(月)〜7月18日(水)にSTスポットで行われました。参加者は俳優やダンサーから社会人、学生と多岐に渡りました。
手塚さんは4月からベルリンをもう一つの活動拠点にしています。それでも変らないことは常に観察し続けることで、観察するために実験し続けること、と手塚さん。
今回のワークショップでは今まで手塚さんが取り組んできた“体の観察”、さらには人との関わりの中で反応を引き起こしていく“関わりの観察”を中心に展開していき、それぞれの実験作りを行っていきました。
筆者も実際に参加した体感を交えながらレポートをします。
(文:島 崇)


赤ちゃんストレッチ
ワークショップは赤ちゃんストレッチから始まりました。
赤ちゃんストレッチとは、自分が気持ち良いところを自分のペースでリラックスした状態で探します。参加者は各々寝転がって伸びをしたり欠伸をしたりとまさに赤ちゃんのよう。私も一緒になってごろごろストレッチしていると自然と欠伸が出てきました。
ストレッチが終わると、観察をするときの注意点の説明がされました。

「体の観察で大事なことは、自分の体を監視したり、判断しないこと。自分がダメだと思ったり、こうあるべきだと思っている人が多いが、それが自身にストレスを与えてしまっている。とにかくあるがままを観察して、それを面白がること。」

確かに私もちゃんとストレッチできているだろうか? と周りの目を気にしていたことに気がつきました。これは手塚さんが言うところの外発的な視線に由来することなのでしょう。ですがきっと、その状態でさえも悪いと思わずに観察するということが大切なようです。

観察
いよいよ“観察”のスタートです。

━━体の地図つくり
まず自分の体を観察し、気になるところを見つけ、意識を向けます。
自分の体の意識できた場所を名付けて、紙にひたすら描いていき、それを地図のように配置していきます。参加者たちは観察がしやすい体勢になり、内観と絵を描く行為を繰り返す静かな時間が流れます。

━━地図の内覧会
書きあがったお互いの絵を見合う内覧会をします。それぞれの絵はとても個性的で、当人以外には何を表しているのか、ほとんど判断することができません。名前もシンプルなものから、オノマトペのような擬音のもの、抽象的なものなど様々です。意外とコミカルな絵が多かったのが印象的でした。

━━観察地図の交換
次にペアになり、観察地図を交換して、お互いに観察した名前を読みあげてもらうワークに移ります。それぞれ読み方を確認した後、一人が観察しやすい体勢になり、もう一人が地図を片手に名前を読みます。読み上げられた人はその部分に意識を集中していく。はたから見ると観察者がどこに集中しているのかはほとんどわかりません。わずかに動く人もいますが、ほとんどの人はじっとしています。ここで手塚さんから「動くことが目的ではないですよ」とアドバイスが。ひたすらに体へ意識を向けていきます。

私は自分の痛いところに意識を向けていきました。絵にして名前をつけることで、その原因のメカニズムが図式化され、さらに他者に読んでもらうことで、自分のものではなくなっていき、ネガティブな印象がやわらぐような気がしてきました。悪い箇所に名前をつけ、それを外に出して他者と共有することで、問題が対象化される効果があるのかもしれません。

━━指示/イメージを付与する
さきほどの続きで、体内の意識した場所が「●●になる」という指示/イメージを付与していきます。手塚さんからイメージが与えられます。

「その場所が暖かくなる、温泉に入ったように、黄色になっていく、自分の好きな色に変えてみる、そこが二つに分裂する、分裂した二つのものができるだけ遠くに離れる……」。

それぞれイメージに集中していきます。それまでのワークの時より微細な動きが出てきています。一通りやり終えたら、最後に集中して意識を向けていたところをゆっくりと解放していき、クールダウンをして終わり。

参加者からは「動いているよりも、動かされている感じがした」「何かに体が動かされる気がした」というような感想が出ました。既存のダンスのように意識をして動くのではなく、観察をすることで動いてしまう。何かに動かされてしまう。そんな個々の内発的なダンスを垣間見たような気がします。

関わりの観察
続いて“関わりの観察”が行われました。関わりの観察とは自分が人と関わっている時に反応してしまう場所を観察することです。手塚さんは観察を通じて作品を作っていく中で、他者との関わりの反応によって今の体が作られていると思ったそうです。

個々で決めた体の一部を意識しつつ、ペアを組み何気ない会話をしてみます。話している最中はそれほど違和感はなかったのですが、終わった後に皆の前で感想を求められた時に、その場所がとても緊張していることに気づきました。体がどのような時に反応を示すのか観察ができた気がしました。

続いて同様にひとりひとり自己紹介をしていきます。話している方も聞いている方もぎこちなくて異様な雰囲気でありながら、きちんとコミュニケーションできている健全さを感じます。ちゃんと喋っている時よりも伝わる感覚があり、不思議と場が成立しています。他の参加者からは全体とイメージが繋がっていく、関係性が自分の中でできた感じがした、という感想も聞かれました。

他者との関わりの中で反応を引き起こしている自分自身を観察する。人との繋がり、関わることの必要性が謳われる昨今ですが、本来の意味での関わりの意味を思い直しました。

実験
“関わりの観察”の中でも特にネガティブな事柄や体験を参加者で個々に発表し、その時の体の状況がどうやったら再現できるか? という“実験”が最終日に行われました。

参加者自身の実体験をベースに様々な実験が行われました。

例えばある人は満員電車を再現するために、他の人に劇場内にあるいろいろなもので押してもらう。過去に受けたいやがらせを演劇のように再現する。他者との同調圧力の再現のために他の人が食べていたものと同じものを食べてみる、他の人にその状況で言われたことを言ってもらうなど、バリエーションに富んだ多種多様な実験が生まれました。この実験はネガティブな重々しい雰囲気になりそうですが、どれも笑いに包まれて賑やかに行われました。

体の観察、さらに関わりの観察をしていくことで、自分の中で暗く沈んでいるものや整理のつかないことが対象化されて解きほぐされていきました。それが自分の中から外へと出されて、作品の種として昇華されていく。手塚さんの作品作りの根幹を垣間見ました。

報告会
二日目の夜にはベルリンでの活動報告会『手塚夏子のベルリン観察ばなし』が催されました。

ベルリンでの移住生活はストレスが多く、癒しとなったのは公園だったと言います。多くの人が視線を気にせずに好き好きに自分の時間を過ごしており、彼らにとって大事なことは自分がリラックスすることで、他者の目線は関係がない。それは心地良い一方で、自分が困っていてもそれをしっかりと表現しないと助けてくれないということも同時に感じたそうです。

他にも日本とのダンスの違いはあまりなく、自分の切実さを基盤にしたダンスが多いこと、演劇は移民の問題を取り上げた作品が多いこと、ヨーロッパには様々なレベルや文脈で階級があるというお話が聞かれました。

報告会の中でもメインの話題はベルリンで暮らしていた家でのエピソードです。そこで日本人特有の“立場の差がないはずなのに立場が生まれてしまう、役割を演じてしまう”という状況になり、強いストレスを受けたそうです。その関係をやめようと思えばやめられるのにも関わらず“自分から鎖に繋がれに行ってしまう、首を差し出してしまう”状況になってしまっていったと。そんなとき、小劇場のオープンスタジオで稽古をすることで、現状を観察し気持ちが楽になったと言います。

さらに現状を観察して対象化するために『私的解剖実験3』(※自身に様々な命令をメニューとして提示し、観客がその中から選び、リクエストされたもの実行するダンス作品)を再構成した『私的解剖実験3 奴隷バージョン』をベルリンで上演しました。

そこでの指示は既存のものに加えて、例えば“首の周りに鎖が繋がれて鎖の先を良く知っている誰かが握っていると想像する”といったストレスに苛まれている、奴隷的になってしまっている現状を再現するような指示書きだったという。観客はストレスの実際ついては何も知らないけれど、作品にしていくことで改めて自分の状況を観察し、昇華/対象化することができたと言います。上記した実験でも感じたことですが、観察の手法が単に踊るためのものではなく、自分の問題を解決するための方法でもあるということがよくわかったエピソードでした。

ヨーロッパの人たちは外発的に生きているわけではなく、やはり皆その内発性を大事にして生きていると暮らしの中で感じた、と手塚さん。

「日本の西洋近代化以降、日本では外発的なことが大事とされてしまって、近代化以前は成り行きを大事にしたり、自然に歌が生まれたりというように、人と人との間を大切にしていたのに、それらが外発的な線引きによって消えてしまいました。では、ドイツで感じた日本の中で育まれた感覚はそんな近代化とどう関係しているのか? それはむしろ近代化が起きようが起きまいがあったことかもしれないし、近代化によって歪んだ形で習慣化されてしまったものなのかもしれない。

例えば相手のことを慮るという文化は本来的にはどちらにとってもストレスではないのに、立場みたいなものが持ち込まれると、向こうが上であって、自分が下であるから自分はこうあるべきなんじゃないか。あるいはこういう風に自分を見てるんじゃないかと推測してしまう。」

確かに私もこのように振舞っている心当たりがあります。もしかしたらどこかに見えない階層のようなものができてしまっているのかもしれません。

「近代化以前にもあったヒエラルキーと近代化以降の線引きは問題の核が違うけれど、日本古来のヒエラルキーが近代化以降どうなったのか? ということと、線引きによって隔たれたものがもう一度流れを取り戻す可能性はないのか? そのことを考えて、観察していきたいです。」

観察の対象がグローバルに広がったことで、手塚さんのダンスがどのような広がりを見せるのか、今後の活動にも期待です。私はまず日頃の自分の観察から始めてみようかと思います。


 手塚夏子

ダンサー・振付家。神奈川県横浜市生まれ。1996年より、マイムからダンスへと以降しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。2001年より自身の体を観察する『私的解剖実験シリーズ』始動。同年、『私的解剖実験-2』はトヨタコレオグラフィーアワードファイナリストとして上演。その後、ニューヨーク、ベルリン、ジャカルタ、リオデジャネイロなど各地での交流や上演を行う。2010年より、国の枠組みを疑って民俗芸能を観察する試みであるAsia Interactive Research、STスポットとともに立ち上げた民俗芸能調査クラブなど、西洋近代化をめぐる多視点的な観察や実験に取り組む。2015年に福岡で『15年の実験履歴〜名刺がわりに〜』を上演し、Singapore Arts Festival 2015や、アジアン・アーツ・シアター(韓国/光州)企画 Our Masters 「土方巽」(2016)にてそれぞれ上演。ヴェヌーリ・ペレラとソ・ヨンランと共に、アジアにとっての西欧近代化とは何かを問う新たなユニット「Floating Bottle」を立ち上げ、2017年に横浜のSTスポットにて初の上演を行う。2018年より、もう一つの拠点としてベルリンを加え、新たに多拠点的な活動を展開する。

KYOTO EXPERIMENT2018にてFloating Bottle Project vol.2『Dive into the point 点にダイブする』を上演する。www.natsukote.wixsite.com

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