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俳優インタビュー act.1 稲継美保|2018年12月

2018年12月30日(日)14:52STスポット

ST通信にて新企画を始めます。普段あまり知ることのできない舞台俳優のルーツ、日常から俳優自身の思考・志向を紐解いてみるインタビューシリーズ。舞台上からは見えない俳優の視点をお話しいただきます! 第一弾はSTスポットの舞台にも何度も立った経験を持つ稲継美保さんです。俳優として気鋭の演出家との創作活動はもちろん、自身でもパフォーマンスプロジェクト・居間theaterを立ち上げ日常に溶け込むアートを模索している稲継さんの表現活動についてお話を伺いました。
(取材・構成:田中美希恵)


俳優活動を始めたきっかけを教えてください。
高校から創作ダンスを始めたんですけど、小さい頃からダンスをやってきた人に比べて自分が上手じゃないことが常にコンプレックスで、だから大学では何か武器になるものを学ぼうと振付や演出の勉強をするために、東京藝術大学に入学しました。だけど結局技術への強いコンプレックスが抜けなくて、今思えば努力が足りなかっただけですが(笑)、もっと振付を勉強したい気持ちはあるけどそれを表現する技術がないというところですごくモヤモヤしてました。大学2年生のときに、同じゼミの先輩であった坂田ゆかりさんから一人芝居のオファーがあり、生まれて初めてのオファーだったから嬉しくて受けました。それが演劇を始めたきっかけですね。それまで演劇はおもしろいものを観たことがなくて、正直ダサいとすら思ってました……。そしていざ稽古をやってみたら、坂田さんも私もほとんど初めて同士の創作で、一行の台詞を言うのに何日もかかってましたね。経験の引き出しが少ないから、とにかく長い時間話をして「じゃあ今のことを考えながらこの台詞を言ってみて」と言われてやってみたりして。多感な若者らしいすごく鬱っぽい作品に仕上がりました(笑)。でも、それが評価されて、外小屋でもやって、また別の作品も作って利賀演劇人コンクールに出品もしました。大学時代は坂田さんが卒業するまでずっと彼女と一緒に作品を作って俳優をやりながら、でも自分のアイデンティティはダンスにあることにすごくこだわってました。4年生のときにやっぱりダンスをやりたいと思い、卒業制作として90分ぐらいのダンス作品を作りました。だけど、そのリハーサルの過程で、どんなにアイディアや見たいものがあっても、それを具現化するディレクション能力が無いとダメなんだということを痛感しました。それでもやりたいことは全てやって、最後には自分でも好きだと思える作品ができたことで自分のダンスモヤモヤ期が完結しました。
あとその頃から矢内原美邦さんやチェルフィッチュの作品を観てダンスと演劇がすごく近づいてきたと感じていて、もうどっちがやりたいかがそんなに重要ではなくなってきて、自分がおもしろいと思う作品を作ってる人と一緒に創作したい気持ちが強くなってきました。大学の4年間は何をやりたいのか悩んでたけど、大学院に進んでからは自分で演出することは一切やめて、パフォーマーとして何か成し遂げてやろうと決意しました。その時期もダンスのオーディションはいくつか受けたんですけど全部落ちて(笑)、演劇のオーディションはありがたいことにどんどん受かりました。俳優をはじめたきっかけってよく聞かれるけど、こんな感じで長いし、そんなにかっこよくもおもしろくもないので、自分的にあんまりイケてないんですよね(笑)。

 

居間theaterの活動を始めたのは何故ですか?
在学中に『戯曲をもって町へ出よう。』という日本大学で建築を学ぶゼミと藝大の自分の所属しているゼミとの共同企画に参加したことから始まりました。既存の戯曲を用いて、ゲストアーティストと一緒にまちなかで演劇作品を上演するというプロジェクトでした。とてもおもしろい試みで、そこからドラマトゥルクの長島確さんを中心とした有志メンバーでこの企画を続けることになり、ギリシャ悲劇を題材に古民家や公共施設、三宅島などいろいろな場所で上演を重ねました。最初は劇場じゃない場所で何かを上演することにこだわってたけど、そのうちにだんだん簡単に上演とは呼べないような、例えばインスタレーションに近いものや音声だけの作品もできてきて、だけど非常に演劇的な瞬間が立ち上がることがわかってきました。演劇を演劇たらしめるにはどういう要素が必要なのか、この場所でどう見せると一番おもしろくなるのかということにトライするのがすごくおもしろかった。「劇場」も自分にとっての聖域で好きなんですけど、まちなかでの創作は、それまで劇場でやっていた俳優の範疇でのトライ&エラーとは少し違って、参加しているメンバーそれぞれが思いついたことをその場でダイナミックかつスピーディーに試せて、その実験と考察がとても好きでした。その企画はいったん終わりを迎えたのですが、そこで学んだことを試し続ける場所は失くしたくないと思い居間theaterを始めました。4人のメンバー(稲継・東沙織・宮武亜季・山崎朋)でやっています。カフェでパフォーマンスを販売したり、区役所にアートを実演する架空の課をオープンさせたり、期間限定で変な待合室を出現させたり、見えない芸術祭を開いたり、わけわかんないことをやっています(笑)。居間 theaterでのスタンスとしては、作品に必要なら「俳優」を技術として使うことはありますが、そういう肩書きや役割にこだわらず、作品全体をおもしろくするために必要な仕事をしたいと思っています。自分が舞台俳優として他の現場で得た経験を持ち帰れるラボのような場所だと考えています。俳優と居間theater、どちらの活動も演劇だと思うけど全然ベクトルが違うんですよ。俳優は演劇という枠組みの中で自分が演技という技術を使って何ができるのかですよね。居間theaterも最終目標は上演ですが、演劇という枠自体を使って街の中で何ができるのかを考えて実践してます。ある「仕組み」をまちなかに作ることで、それまで見えなかったものが見えたり、普段出会わないような人たちが出会ったり、結果それが非常に演劇的なんです。演劇の考え方や構造を使って何ができるかということであって、演劇をすることが目的ではないんですよ。居間 theaterでの活動は6年目なんですが、実はこれまで俳優の現場で意識的に自分から居間theaterのことは言わないようにしてたんです。舞台の一俳優として稲継美保を観る人と、居間theaterの活動がおもしろいと思って体験しにきてくれる人は分かれてていいだろうなと思って。でも両方の活動が確立されてきて、今はそう思わなくなってきました。俳優が、それぞれにラボのような場所を持つことは大事だと思う。だからそういう場所を自分で作って持っているということはどんどんオープンにしていきたいですね。

 

居間theater『パフォーマンスカフェ』

 

どんなことを考えながら演劇に携わっていますか?
私は演劇をやること自体にモチベーションがあるというよりは、演劇が扱っていることに興味があります。最近自分の中で流行っている言い方をすると、“演劇は他者を扱える芸術”だと思っています。演劇は多くの場合集団創作だし、役を演じることは自分ではない他者をやるということだから、作るプロセスで他者について想像したり考えますよね。あと何よりも本番で観客という他者とも関係性を築く。
演劇をやる以前の私は自分が強すぎて生きづらかったんです。人に対して、なんで私と同じことを思ってくれないのかとイライラしてしまうタイプでした。他人が自分のことを理解してくれないことに憤っていて、それは傲慢だとわかっていても止められなかった。でも演劇をやる中でそれがだんだんと緩和されて生きやすくなってきたんです。例えば日常ではどんなに苦手なタイプの人間でも、自分がそういうタイプの役をやらなくてはいけなくなったら、ちゃっかりその役の考え方や振る舞いを肯定したくなる、実際めちゃくちゃその役のことを好きになっちゃうみたいなことがあるから(笑)心とか脳とか、自分というものがいかにデタラメかということもわかってきました。そのデタラメさを知ったことは生きる上で本当に役に立ったんですよ。私、演劇やってなかったら、キャリアウーマンとかになって新入社員の女の子に「はぁ……どうしてできないの?」とか言ってたと思う(笑)。でもだからこそ演劇の現場で他者に対して無自覚な人を見ちゃうと怒っちゃうんですけど。どっちにしても結局怒るんですね(笑)。
あと最近気になっていることは表現としての“聖と俗”。自分が舞台を観ていたとして、ちゃんとその人ならではの俗世間の感じもあるんだけど、そこにある種の聖性が見えたときに私はドキッとする。そういう相反するもの、引き裂かれそうになるものを自分のパフォーマンスの中でいかに併せ持つか、ということも最近考えています。

 

日常生活ではどんなことを考えていますか?
いろんな人に言われるんですけど、私は考えオバケなんです(笑)。とにかくずっと考えてる。例えば先日、ちょっとドキドキしたいな〜くらいの感じで『IT』というホラー映画を観たんですが、見ているうちになんかいろいろ気になっちゃって、映画マニアの『IT』についての見解を調べたりして、そこから数日間何をやっててもずっとそのことを考えたり関連付けたりして、そもそも「恐怖」とは何なのかとかまで考え出して……。本当に病的に止まらなくなるんですよね。良くも悪くも分析癖があって、街中で偶然見かけた何この人って思った人のことを朝から晩まで考えたり。しかもタチが悪いのはその分析結果を誰かに披露したいという(笑)。そこが厄介ですよね。ただ何かを分析するだけだったらいいけど、それを披露して人に楽しんでほしい気持ちがあるんですよ……。

 

パフォーマーとしてのモチベーションを保つために行なっていることはありますか?
自分が望んでいることを自分で叶えてあげるということを常に意識しています。なんとなく行きたいと思った場所に行ったり、やりたいと思ったことはなるべくすぐやる。自分が望んでいることを他人に頼ると関係が悪くなるじゃないですか。自分の欲望を自分で知って自分で叶えてあげる、それが結局モチベーションの維持になっています。私は演劇活動自体に奉仕的なところがあると思っていて、特定の誰かのためにってことではもちろんなくて、さっきの聖と俗でいう聖の部分でもあるんですが、演劇だけではなく表現全体に見えないものに対して何かを捧げてる感じがあって、自分はそれに対して惜しみなくエネルギーを明け渡すようにしたいと思うからこそ、普段の俗っぽい望みは自分で叶えてあげたいと思うんですよね。もちろんたまには人に尽くしたりもしますよ(笑)。でもそれだって結局なぜ尽くすかというとそのとき自分が尽くしたいと望んでるからやるわけです。望んでもないのに何かすることが嫌だから。自分が何を望んでいて何を望んでいないのかをちゃんとクリアにした状態で人と関わる。そうやって誰かと話をしていい時間を過ごせたり一緒に何かをつくったりできると、モチベーションはちゃんと循環するような気がします。

 

演劇に携わっていて幸せに感じる瞬間はありますか?
スポーツ選手だとゾーンと言われるものが演劇にもあると思っていて、何が起きてるのかよくわからない、自分の理解を超えた状態が本番中にあったりするんですけど、そういうときってすごく冷静なんですよ。だいたいの場合長くは続かなくて、その状況になってると自覚した瞬間に終わるんです。その状態はただのハイなのかもしれないけど、日常生活では絶対にならない感覚を経験しちゃうと「もう一回!」って思っちゃいますよね。幸福というよりかは興奮に近いかもしれない。あれなんだったのって。そういう状態は好きだしすごくおもしろいと思います。あとそういう言葉にしにくい感覚を他者と共有できるというのも不思議だし楽しい。先日出演した舞台『自慢の息子』で片桐はいりさんと一瞬だけ舞台上で会うシーンがあって、そのシーンは私がへたくそでずっと上手くいかなかったんですけど、パリ公演中にやっと“一緒にいる”と感じる回があって、そしたら終演後はいりさんにも「今日は一緒にいるって感じがしたわね」と言っていただいて。そういうことを確認しあえたときは素直に幸せです。どんな現場にも、そういう関係を築ける共演者がいることにすごく感謝です。

演劇界で問題視していることはありますか?

俳優に関してですが、“演技”といった技を磨かなければならないという意味で技術職だと思っています。それとともに集団創作する中で自分がどうあればこの現場が良い方向に動くのか、どう作品全体に貢献していくのかということを理解する技術も必要だなと。俳優の技術と言ったときに、後者は見落とされがちだと思うんですよ。それはもちろん俳優だけではなく創作に関わる全ての人に言えることだと思いますが。おもしろいものをイメージできたりプランを考えることと、それを周りの人たちにどう伝達するかは別の技術だから、私も含めそのやり方を学ぶための時間や環境が少なすぎると思っています。どの立場の人間も作品に自覚的に関わっていく、対話しながら創作する、そのためには後者の技術がもっとあった方がいい。集団でものを作る上でとにかくwin-winであるために必要だと思うんですよね。

あとこれは演劇だけの問題じゃないですけど、わからないものに対してもっと寛容な世界であってほしい。特に表現を取り巻く環境として、わからなかった=おもしろくなかった、になることはとても残念だと思っています。わからなかったときこそ考えるし、他者を意識できるんですよね。でも実際は「わからなかった」で終了してしまうことが多い気がします。もちろんつくる側の努力は常に必要ですが、「わからなさ」からはじまるコミュニケーションがもっとあってもいいのではと思います。

 

今後の展望を教えてください。
俳優や居間 theaterでの収入だけで生活したいと思ったら、結構な仕事量をこなさないといけませんよね。生活をするための手段が「量」にしかないとなると大変です。それでつく体力もあるし、だからこその良さももちろんありますけど、本当はひとつの作品に半年とか1年くらいかけて、インプットする時間も大事にしながら丁寧にスローに創作をしてみたいです。でも現状では難しいです。そもそもそのスケール感で作ろうとしているところもほとんどないですよね。みんなとにかくスピードと量に追われてがんばってる。もちろん短期集中だからできることもありますし、私はフリーランスだから一つの現場で得た経験値をすぐに次の別の現場に繋げて生かしていくことはおもしろいことでもあります。でも作ったあとにゆっくりツアーに回って旅をしながら作品を育てたり、勉強したりインプットの時間がちゃんと確保できて、質のことを考えながら活動できるのが理想ですね。まだまだ自分の活動の仕方自体にも考える余地はあると思っています。

 

取材:12月5日(水)、珈琲さろん午後にて


撮影 Akinali Nishimula

稲継美保
1987年兵庫県生まれ。東京藝術大学在学中より演劇を始め、舞台を中心にフリーランスで活動中。これまでに、岡崎藝術座、サンプル、チェルフィッチュ、ミクニヤナイハラプロジェクト、バストリオ、オフィスマウンテン、坂田ゆかり、東葛スポーツなどの作品に出演。幅広い役柄をこなし、枠にとらわれない活動を行っている。
2015年からパフォーマンスプロジェクト・居間 theaterを開始。パフォーマンスの手法・思考をもとに、演劇的な体験をまち・日常のなかに展開する活動も行う。
2018年度には、東京藝術大学音楽環境創造科にて、講師として学生と共に演劇作品を創作している。
[次回出演情報]範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』
2019年1月31日(木)〜2月3日(日) 会場:本多劇場
https://www.hanchuyuei2017.com/umashine

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