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2012.06.19

【N.N.N.3】京極朋彦ダンス企画主宰:京極朋彦インタビュー

関西・関東問わず精力的に活動をしている京極朋彦。STスポットでもいくつかの公演に関わっており、特に昨年2月に上演された『カイロー』では独特の言語と身体を披露し、大きな反響を呼びました。その彼が結成したカンパニーがN.N.N.で選出され、今回お話を伺いました。
ダンスの伝わる速度と方法から、ダンスの可能性が見えてくる興味深いインタビューとなっております。



●京極朋彦 Tomohiko Kyogoku (ダンサー・振付家)

1984121日生まれ。07年京都造形芸術大学、映像・舞台芸術学科、舞台芸術コース卒業。在学中、太田省吾、山田せつ子らに師事。京都を拠点に国内外問わず様々な作品に参加。卒業制作『鈍突』は学科最優秀賞を受賞。2010年に発表されたソロダンス『カイロー』は京都、東京、横浜で再演される。2012年「京極朋彦ダンス企画」を設立。同時に、京都アトリエ劇研と共催し、若手振付家の作品発表の場としてKYOTO DANCE CREATIONを立ち上げる。


N.N.N.3について



・ダンスの伝わる速さ

--京極さんと言えば、昨年はソロ公演の『カイロー』を行ったり、アンサンブル・ジェネシス『エウリディーチェの嘆き』では、出演こそされませんでしたが振付を担当された神村恵さんの稽古に通ってレポートを書いてくださったり、STスポットの事業に関わって頂きました。

そのときに今夏、京都で開催される「KYOTO DANCE CREATION(以下「KDC」)」に繋がる話をされていたのを覚えています。


 

京極:(「KDC」に関しては)稽古の帰りの電車の中で話しましたね(笑)。あのときは自分の持っているイメージを言葉にして外に出すことで明確にしていくようにしていました。そうすることで自分を追い込むというか、言ったからにはやらなきゃなと。その時はまだ何も決まっていなかったのですが、結果的に本当に魅力的なメンバーが集まってくれました。


 

--あれから半年ちょっとしか経っていないですが、懐かしいです。神村さんの稽古に京都から通っていたことや、その時に話していたことがこうして形になっていることは、私もとても刺激になりました。

それでは、そのときに聞くことが出来なかったダンスを始めたきっかけから伺っていきたいと思います。


 

京極:京都造形芸術大学に入ってから始めました。元々は役者をやりたかったのですが、ダンスは身体表現のためにもやっておいた方がいいんじゃないかと思って授業をとっていました。岩下徹さんの即興ダンスの授業で衝撃を受けて、これもダンスか!?と。

その後で受けた砂連尾理さんの授業では、初めて1つのピースを作って、それがけっこう面白くて。でも、そのときはまだダンサーになろうと思っていたわけではなかったです。

その翌年の3年のときに受けた山田せつ子さんの授業では、最終発表で公演を打つんですが、せつ子さんは監修で、企画から演出から全て学生が主体で行うんですね。みんなでやいのやいの言って作って、その都度せつ子さんに叱咤激励を受けて、本当にぜいたくな時間を過ごしました。その一年で今のダンスを続けている原点のようなものがだいぶ培われました。楽しかったですね。

そういった流れから、その翌年の夏にせつ子さんの公演『奇妙な孤独 vol.2』(注1)に出させてもらいました。その辺りからダンスをちゃんとやらないとだめだなと思い始めました。

経緯はこんな感じですが、中身としてはダンスを教えてくれた方々が魅力的で憧れたということと、ダンサーを見たときに「速度が速いな」と思ったんですね。


 

--速度というと......


 

京極:演劇だとストーリーや台詞が伝わるまでに時間がかかるなと思って。言葉で伝わる速度よりも、ただ跳ぶとかポーズをバシッと決めることで何かが伝わる速度はむちゃくちゃ速いなって。ロックミュージシャンがコンサートの最初にギターを掻き鳴らすと、観客がワーってなるような。意味があるわけじゃないけれど、ダンサーが生きてる速度みたいなものが全く違うなって思って。

そこに最初は憧れて、でもそれを出来るとは思っていなかったんですよね。形とかよりも、この人達はどういう時間を生きているんだろうという興味がありました。これは嫉妬混じりなんですけど、(当時演劇をやっていた自分よりも)ダンサーのほうが自由に見えたんですよね。

やっていくうちにダンスの大変さも分かるようになってきましたが(笑)



--なるほど。そういう速度に関する考え方は面白いですね。ある動きにどういう意味があるかということを考えると、その何かが伝わる速さとは違う、ゆっくりと考えられる遅さも加わってくるのではないかなと思いました。これらはダンスを見る楽しさですよね。


 

京極:僕は、最初はダンスと呼べないようなポーズを取ることばかりをしていました。体も硬かったですし、何かを一瞬で伝えることばかり考えていて、ムーブメントよりもただ高く跳んだり床に寝たりとかばかりしていました。

 


 

・憧れる体

--カイロー』ではそういった動作というものが非常にキレイでいいなぁと思いました。


 

京極:バスケをしていた頃の貯金が大きいかなと思います。元々体を動かすのは好きで、ただ高く跳ぶとかそういう事に憧れはありました。

もちろん基本的なことはしていますが、実はあまりレッスンを受けたことがないんですよね。レッスンの時も僕は全然うまく出来なくて、むしろうまく踊れることよりも、その人や、その体自体に憧れちゃんですよ。すぐに憧れてその人になりたいと思ってしまうところがあって、憧れて真似することで、吸収をしていきました。もちろん今は基礎が大事だということは身にしみてわかるのでレッスンにも通うんですけど。

伊藤キムさんが夏の集中授業で大学に教えにいらっしゃったときも、とにかく伊藤キムになりたいと思いすぎて、その直後、しばらく抜け出せませんでしたね(笑)

 


--色々な方々を吸収するということで、時期による差はあっても、それで体のクセみたいなものが出来るのか興味がわきました。


 

京極もともとバスケ以外何もしていなくて、大学で演劇から入ったので、しかも始めてやる演劇の授業が宮沢章夫、太田省吾ですから身体性という面では演劇から多くを学んだ気はします。ダンスを全然やっていなかったこともあって、話にならないというか、クセすらなかったと思います。

 


--私は『カイロー』しか拝見していないのですが、そのときは何でも出来そうな人に見えたというのは印象に残っています。あと、(演劇に関しては)役者を辞めるとか辞めないという話でもないんですよね?

 


京極:とんと俳優のお話が来ないだけで。初めて役者で出演したのは大学1年のときに、(杉原)邦生さんが演出をしていました。出会った当初はまさか邦生さんも『三番叟』で僕がダンサーで出演することになるとは夢にも思ってなかったでしょうね。

 

 


・活動について

--そういう垣根を越える活動をされる方が、STスポットという場所や単に私が見ているものがたまたまそういうものが多いのかもしれませんが、とても増えてきているなという印象があります。

 


京極:ダンスは一人でも出来るんじゃないかというイメージがあって、実際発表しようと思えば、割とそういう場は多いんですよね。


 

--そうですよね。語弊はありますが一人でもサッと出来る面はありますからね。だからこの企画(N.N.N.)はグループで、っていう。ここ(STスポット)では難しい面もあるんですが。

 


京極5人もいたら一杯ですものね。

東京と京都を行ったり来たりすることで、いろんな見方が変わりました。京都はダンサーはたくさんいるし、表現の場はあるにはあるのですが、(それに比べて)集団で継続してやっていこうというダンスの作家が、特に大学卒業したての人達の中には少ないですね。その点東京は若手同士、作品でせめぎ合っている印象を受けました。

それで、京都でもそういう同世代の作家たちが、作品で鍔迫り合う環境を作ろうと思って「KDC」を思い立ちました。

 


--そしてグループが結成されて......。私はこの企画を関東に持ってくるのかなと思っていました。


 

京極: ソロやデュオ、カンパニー作品への出演では東京でも活動はしたことがありますが(注2)、単独ではなかったしグループも始めたばかりなので、いきなりは東京での単独公演は難しいかなと思っていました。でも、せっかく作るなら生で見てほしいと思ったので、今回(N.N.N.に)応募しました。以前KENTARO!!さんのWSを受けさせていただいたことがあり、N.N.N.の存在は知っていたし、今回は「KDC」の直後だからツアーが出来るぞと。

 


--ツアーいいですね!それと、この企画を知っていらっしゃったのはありがたいです。


 

京極:それに、KENTARO!!さんがどのようにダンスを見ているのかにもすごく興味があって、意見をもらいながら作れるというのも魅力の一つでした。

 


 

・言葉と身体

--今回は、より参加者に近い位置で関わっていけたらというのが監修のKENTARO!!さんも含めて、こちらの姿勢ではあります。

話は変わってしまうのですが、応募資料が面白かったですねぇ。

 


京極:あれはまだ稽古始めたばかりの時で、リハーサル風景をただ撮っただけでグダグダだったんですけどね(笑)。本編にどこまで残るか分からないです。

 


--そういう変化が面白いんですよね。何か起こりそうな気配がある。

『カイロー』のときにもあったことですが、言葉になりそうでならない声と身体との関係は気になって、でも今回はさらにその身体でダンサーたちの関係のあるというのが、とても気になりました。


 

京極:言葉を抱えてどれだけ速度を出せるかということに、ますます興味が湧いています。今も稽古場で言葉と身体の関係をひたすら試しています。振付はまだまだです。

 


--あの何語とも言えない言葉になりそうな言葉はどこから生まれたんですか?


 

京極:大学時代の山田せつ子クラスで初めて作ったダンス作品から既にしゃべってましたね。クラスの皆はみんな踊れるのでどうやって対抗しようかと考えた挙句の言葉だったんですね。

ただそこで、何か意味のある言葉を使ってしまっては反則のような気がして、自分もダンスに憧れて来てるわけだから、ダンスしたかったんですよね。それで結果、稽古場で唸り声をあげるみたいなことになって、それが始まりだったと思います。

タモリの4ヶ国語麻雀とかも好きでしたし、初めは本当に悪ふざけでしかなかったんですよね。

 


--(笑)そして洗練されていくと。



京極:作品の要素して意識的に使うようになったのは海外の振付家と出会ってからですね。京都は、例えば「京都の暑い夏(注3)」とかそういう機会がわりと多いです。そうした中でダンスをやっていることで海外の方と知り合う機会が増えていって、まず言葉の壁にぶつかるわけなんですけど、言語が違うのにダンスでつながれたり、簡単なことが伝わらないもどかしさを覚えたりする中で、「わからない」ことや「伝わらない」こと、「それでも伝えようとすること」に興味を持ち始めました。そこで、ダンスと言葉の結びつきについて考え始めました。

最初は本当にただ面白いってこととか、インパクトがあるってこととかだったんですが、よくよく考えていくと......。今回の作品タイトル『talking about it』もそういったところからきています。

 


--なるほど〜。これをグループでやるとなると、それぞれの記憶や蓄積から持っている言葉が何かや、動きも含めてどのように同じ空間の中で共有、連動させていくのは大変そうですね。


 

京極:でも、声を使うとはいえダンスにはこだわって「これはダンスです」と言いたいです。あのデタラメ語をしゃべるにはそれなりの身体の強度が必要なんです。あれはダンスだと思っていますから振付と同じようにそれを支える基礎がいるんですね。

稽古場でメンバーが悩んでいるのを見て、自分がなぜあのデタラメ語を成立させるに至ったかを省みることも出来ています。どんどん新しい問いが生まれていて、デタラメ語や発話もまた変わってくるのかなと思います。

 


--その変化、個々人が何を持ってきてくれるのか楽しみです。最後に、作品について見て欲しいところなどありますか?

 


京極:まだ出来ていないので難しいですが、あくまでダンスを作っていると思っているし、発話がダンサーの体にどのように影響し、その先にどんな体が見えてくるか?その体をぜひ見てほしいと思います。


 

--本日はお忙しい中お話させて頂き、ありがとうございました。




120067月に京都芸術センター講堂にて行われた公演。

山田せつ子ダンスシリーズ『奇妙な孤独vol.2』(京都芸術センターセレクションvol.23

構成・演出・振付:山田せつ子
出演:山田せつ子、内田淳子、京極朋彦

 

2:特にこまばアゴラ劇場で開催されていた「サミット」など。

 http://kyo59solo.blogspot.jp/p/profile.html

 

3:海外から振付家、ダンサーらを多数招き、国内でダンス技術やフィロソフィーを学べる場を作り、若手育成や国際的なネットワーク作り、ダンスの普及していく基盤を広げていくことを目的とした日本最大級のワークショップ・フェスティバル。 http://www.hotsummerkyoto.com/index.html 

 

※度々話題にしていた『カイロー』の動画はこちら http://www.youtube.com/watch?v=ijU-LiIOhno&hd=1