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『婆美肉魂』ワークインプログレス 太田充胤 × 遠藤七海トーク【後半】

2026年7月08日(水)14:23STスポット

7月11日(土)より開幕する遠藤七海『婆美肉魂(ばびにくこん)』の本公演に先駆けて、5月8日(金)『婆美肉魂』ワークインプログレス公演を実施しました。
上演後にはゲストに医師・批評家の太田充胤氏を迎えて、作品シリーズの変遷を振り返りながら、「ダンスはどのように生まれるのか」「弔うとは何か」といった創作の根幹にせまる対話を繰り広げました。
当日のトークの様子を前後半に分けてお届けします!
(前半の記事はこちらから)


ー弔いと儀式
5/8トーク当日の様子

遠藤: 『婆美肉考(ばびにくこう)』の時は祖母が亡くなってまだ1ヶ月も経っていない頃の上演で、祖母のことがだいぶ頭を占めていたんですけど、時間が経つにつれて、興味の対象が祖母や祖母との関係性から移ってきて、祖母の魂であることの必然性が少しずつ薄くなってきていて。弔うために作品を作っていたのにって。アーティストとしての自分の興味は別のところにあることとの、ジレンマが結構あって、この距離感になっているのかなというのはあります。

太田: 真面目ですね。真面目に弔うということをやろうとしているのがすごいと思います。少し話それますけど、『婆美肉考』を上演したことによって、気持ちよく送り出してあげられたという感覚はある?

遠藤: そう、若干の達成感があったんですよ。

太田: うん。

遠藤: でもそれに対して、祖母には生前「作品を作るよ」とは言っていたけど、実際の上演は見られていないし、認知症だったから言ったことを覚えているかもわからなくて。だから、ちょっとズルしている気持ちがあるんですよね。祖母に一応許可は取っているけど、それは取っていると言えるのか? って。誠意を見せるためには、使い捨ての材料にしないで、作品を一つ作ったからもうそれで終わりにするのではないんだろうな、ということもあって続けようと思いました。

太田: 使い捨てにすべきでないという気持ちと、祖母に限定せず、もう少し広く一般的なこととして考えたいという気持ちとのジレンマがあると。

遠藤: そうですね。

太田: 遠藤さんにとって、弔いとは何でしょうか?

遠藤: それがちょっとわからないというのが大きくて。だから外側からやっているのかなって。
祖母が亡くなった時に、祖母の魂がどうとかはあまり思わなかったんですよ。目の前にある肉体というものにすごく興味を感じていて、「亡くなっちゃった」という感覚よりも、「あー、これが人間が亡くなった姿なんだな」とか「でも、これがもう焼かれて骨になるんだな」って。正直、それだけのことでしかないという風に思っているのが本音で。
それでお葬式の時に、お利口さんに座って、言われたら前に出ていって、お辞儀して、お焼香して……ってやるけれど、そこに気持ちが全くこもっていないって思って。「私、このやり方じゃダメなんだな」と。じゃあ私にとって、どうしたら弔う気持ちが持てるんだろう、みたいなことの、わからなさへの探求みたいなことかもしれないです。

太田: お焼香って、みんなが見ている前で、みんなと同じ振付を遂行するという儀式ですよね。それで弔ったことになるのかと言われるとわからないが、しかし全員がその振付を的確に遂行することによって生まれる場と意味がある、という。それはどこかでダンスの話と繋がっていくし、盆踊りとかもきっとそういうことなのかもしれない。
前作の『婆美肉塊(ばびにくかい)』で盆踊りのモチーフが入ってきたということは、弔いの社会性に話が広がっていくサインだと思ったんですね。弔うということが一人の問題ではなくて、文化の問題であり、習俗の問題であり、そこには形式がある。決まった形式があって、決まった振付があるということの意味に接続していくという展開を感じたんですね。
盆踊りって私もあまり詳しくないんですけど、亡くなった人たちに扮して踊るタイプの盆踊りもあるはずで。遠藤さんが弔いのためにダンスという形式を選んだという個人的な理由と、ダンスというものがそもそも弔いに使われるという歴史的な経緯とが、シリーズを展開させることでつながった、ということなんだなと思ったんです。
で、次の『婆美肉魂』はどうするか、という話ですよね。

遠藤: そうですね。 『婆美肉魂』では「お焼香タイム」的な謎の時間を作ろうかなとは思っています。お焼香って、前の人の振りを見て、それ通りにドキドキしながらやって、終わったら「よかった、やれた」ってなる。動きとしては形骸化しているわけですよ。でもその動きを遂行することによって弔った気持ちにもなれるという。そんなパフォーマティブな時間を、観客の皆さんと共有できたらなと。
見知らぬ振付が突然登場して、それを見様見真似でやってみたらなんだか弔った気分になってくるという、アハ体験的なものがゴールかもしれないですね。みんなで一緒に新しい儀式を作りたいかも。

太田: 観客の皆さんにも参列してもらうわけですね。いいじゃないですか。

遠藤: 何に参列してもらうかはわからないんですけど、何かしらの儀式を一人ずつか何人かずつやってもらって、一通り終わりきるまでその時間は終わりません、みたいな。

太田: 会場はここSTスポットとお寺なんですね。

遠藤: 大田区池上の本妙院というお寺です。ただ、お寺でお焼香的な参列の時間を設けることと、劇場でやるということの違いがあって。サイトスペシフィックな場所って、何が起きても「何か違うことが起きている」という違和感が感じやすい。でも劇場って、意外と能動性が働きづらい場所で、何かが起きるということが前提とされている場所でもあって、その点がちょっと都合悪いなと思っていて。しかも広い劇場でないから、私がここに存在しているということが、どこにいても感じられてしまう。その存在の生々しさみたいなものを、どうダンス的に解決できるかというのが、今の課題だなと思っています。

太田: 一つのストーリーに裏打ちされた簡単な動作というのは、繰り返していくうちに、やっている人をそのストーリーの中へ没入させていく力があるんですよ。そういう意味でお焼香って繰り返されるうちに、ここに故人がいて弔っているような気持ちになってくる。多分、そういうことなんじゃないでしょうか。

遠藤: そう、繰り返すことで心の姿勢が変わっていくみたいな。
『婆美肉塊』©️岩本順平

遠藤: 話が変わるんですが、3月にお味噌とかを作る麹屋さんのインターンに10日間行っていて。

太田: へー。

遠藤: その時に毎朝、ラジオ体操をした後に必ず神棚に手を合わせるところから始まるんですよ。儀式だなーと思ってたんですけど、でも毎日やっていると、「今日はこういうスタンスで臨んでみようかな」という気持ちになってきて。それって、ダンスにおける振付と近いかもと思って。ダンサーとしても「この振付を今日はこういうトライでやってみよう」ってあるじゃないですか。

太田: それいい話ですね。麹の味噌作りの話をするのかと思ったら神棚の話。

遠藤: そうそうそう。

太田: 味噌作りの話も掘り下げたい気もするけど、一旦置いておいて。同じ振付を遂行する時に心持ちが違うという話は面白いですよね。さっきの上演でも、1シーン目の同じ動作の反復の中で、心持ちが時々刻々変わっていく、それがダンスを作るということで。その変化を観客は見ているわけで、心持ちの変化がダンスに乗ってくると一番面白い。それをどう仕掛けるか、ということですよね。

遠藤: それは私自身の心持ちということですか。

太田: じゃないですかね?

遠藤: ああ。そうですね。

太田: この「婆美肉」シリーズも一回で終わらせたくないとおっしゃっていて。やっていく中でだんだん変わっていくことも含めて弔いなんじゃないかと。おばあちゃんに対する心持ちがだんだん変わっていくという話は、そういう意味ではポジティブに考えてもいいような気がします。

ー「おばあちゃん」をどう踊るか

(『婆美乃夢(ばびのゆめ)』の動画を見ながら)

太田: 遠藤さんはこの『婆美肉魂』でシリーズの4作目で、自身のおばあちゃんをやり続けているわけじゃないですか。その中には、実際のおばあちゃんの身振りもあれば、一般的な高齢者のイメージや、バーチャルな存在としてのおばあちゃんもある。そのそういう中で繰り返しおばあちゃんをやってきたということは、遠藤さんの中に何が残っているんでしょうか?
平たく言えば、動きのボキャブラリーとか、動きの癖が増えたとか。

遠藤: なんだろう……。例えば、背中を曲げるとか、おぼつかなさみたいなことは自然と祖母の身体と結びついてしまうところがあります。新長田に滞在中に高齢者と接する機会があったんですけど、触れ合う時間が短いし、他人フィルターみたいなものがあるから、そういうおぼつかなさには目が行かなかったんですよね。でも自分の家族のことだとまじまじと見るから、気が抜けている瞬間が見えてそのおぼつかなさや弱さみたいなものが見えてくる。
それを意識的に再現してはいないんですけど、後から振り返ると、そうした感覚が自分の身体のどこかに残っていて繋がっているのかなとは思います。

太田: それはたとえば即興の動きや日常動作を後から振り返ると、「あ、今のおばあちゃんじゃん!」みたいなことがあったりする?

遠藤: そこまでではないですね。「祖母を理解したい」からつくりはじめてトレースしたりして振付を作ったりしているんですが、意外と動きの形からのトレースが多くて、やっぱり祖母の気持ちというのは、わからないんですよね。当たり前に他人だから、理解しきれるということはできなくて。だから弔いがなんなのかって言ったら、自分の気持ちを弔うためにやっているという気もするんですけど。

太田: まあ、本当の気持ちはもちろんわからないでしょうけど。でも、この『婆美乃夢』の時の遠藤さんを見ていて、めちゃくちゃおばあちゃんだなと。私もかなりの数の高齢者を見てきているので。それなりにリサーチをされてきたんだろうと思いますし、その身体におばあちゃんというボキャブラリーのセットが何かしらの形で定着しているんだと思うんですけど。
このおばあちゃんのボキャブラリーが、もし完全に遠藤さんの中で一つのボキャブラリーセットとして確立しているのであるとすると、きっといろんな使い道があるはずなんですよ。

遠藤: なるほど。

太田: 今日はほぼ、遠藤さんが遠藤さんとして踊っていましたけど、おばあちゃんの状態で踊ることが、かなり使い勝手のいいツールに既になってるんじゃないかなと思ったんですけど。

遠藤: その、おばあちゃんセットみたいなことは、実際のところ、「いかに見えていることと違うことをやるか」でもあって。おばあちゃんを想像しながらおばあちゃんになっても、それはダンスじゃなくて。スタニスラフスキーじゃないですけど、その人になろうとするということではなく、ダンス的なタスクを自分に課すこと。「どうやってこの身体がおばあちゃんになるだろう」みたいなことで。
『婆美乃夢』©️岩本順平

太田: じゃあ形から入るわけではないんですね。何を意識するとおばあちゃんになるか、という。

遠藤: そうですね。もちろんおばあちゃんの身振りのトレースは振付として遂行する。喋っていたことも全部トレースなのでこれも振付で、その振付にタスクが加わっているという状態で、おばあちゃんを作っていて。

太田: そうか、じゃあおばあちゃんを作っているけれども、踊っているのはやっぱり遠藤さん、みたいな。

遠藤: そうですね。だから、「おばあちゃんやりすぎ」って言われて、見えているものがおばあちゃんすぎると言われたこともあります。だから「つまんない」と……。
でも私、おばあちゃんの格好はしているけど、やっていることはコントラクションでしかなくて。

太田: おばあちゃんすぎると面白くないか。

遠藤: そう、おばあちゃんをやりすぎると、見えているもの以外が見えなかったって言われたんですよね。踊りの問題でもあるというのは否定できないから、ちょっと反省点ではあるんですけど。構造に振り切っちゃった感じはするので。

太田: でもおばあちゃんが四つ打ちで踊るの面白くないですか? 『婆美肉孝』では身振りのトレースや衣装を通じておばあちゃんになったところで四つ打ちが入ってきて、「あ、おばあちゃん四つ打ちで踊るんだ」っていう、あの感じが素朴に面白いと思ったんですけど。
身体機能が違うんで、素で踊った時におばあちゃんそのものにはならないわけですよね。そこを生かして、おばあちゃんのスキルセットでガンガン踊るっていうのもシンプルに面白いような気がする。
もう少し抽象化して言うと、踊っている主体とは本来異なる身体能力のスキルセットを持った何かを降ろすという作業で、そのスキルセットで踊った時に元と何が違うか、というところにさらに展開の余地がありそうな気が私はしています。

遠藤: そうなった時に、おばあちゃんのスキルセットというのが、想像の範囲を超えないじゃないですか。

太田: いや、全然いいんですよ。正解があるようでないので。おばあちゃんがブレイキンしてるの! ってなったら(笑)

遠藤: 確かに。それはおばあちゃんの格好をしているかどうかは関係なく。

太田: 関係ない。これはおばあちゃんが四つ打ちで踊ってるぞ、となる。今、おばあちゃん降りてきたってわかる。

遠藤: そうですね。それが今回の大きな課題ですね。ラストシーンが今、まだ決まっていなくて。やることの状況設定はなんとなく決まっているんですけど、そこにどんな身体とどんな踊りがあるべきかというのが、見えてなくて。今の課題はそれなのかな。

太田: おばあちゃんが降りてきて、

遠藤: おばあちゃんが踊ってた。

太田: ダンス公演である以上、最終的には「ダンスが面白い」ということが一番大事なんだと思うんです。上演を通じて様々な文脈が積み重なった結果、最後に遠藤さん自身の身体におばあちゃんがふっと降りてくる瞬間が見えたら、観客はとても気持ちよく帰れるんじゃないかと思います。

構成:萩谷早枝子(STスポット)


【プロフィール】
太田充胤(おおた みつたね)
1989年生まれ。医師・批評家。内分泌・糖尿病専門医。旅行する批評誌『LOCUST/ロカスト』編集部。自身のダンス経験をもとに、デジタルネイティブ世代の身体論に取り組む。2025年3月に、ダンス・メディアアート・サブカルチャーを貫通する新しい身体論『踊るのは新しい体』(フィルムアート社)を刊行。

遠藤七海(えんどう ななみ)
東京都大田区生まれ。立教大学映像身体学科卒業。日常の振り付けられた身体を起点にパフォーマンスを展開。並行して、舞台芸術の企画制作にも携わる。STスポット「ラボ20#24」にて『婆美肉考』を発表。ラボ・アワード受賞。国内ダンス留学@神戸11期Solo Dance Artist。
最新情報:Instagram @farw7sea

【公演情報】
遠藤七海 『婆美肉魂』
[横浜公演](「ラボ20#24」ラボ・アワード受賞者公演)
7月11日(土)・7月12日(日)
STスポット
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=14621

[東京公演]
7月25日(土)・7月26日(日)
本妙院(東京都大田区)
詳細:https://babiniku-con-ikegami.peatix.com/

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