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「ラボ20#24」中間発表レポート

2025年1月21日(火)15:43レポート

執筆:松本奈々子 西本健吾/ チーム・チープロ

はじめに
2024年11月23日(土・祝)にSTスポットで行われた「ラボ20#24」の中間発表に参加した。「ラボ20」とは、キュレーターとともに、20分のダンス作品をつくるダンスのラボラトリー(実験室)。今回で24回目となる。
「ラボ20#24」のキュレーターは、康本雅子。参加アーティストは、遠藤七海、天野朝陽、AtannT(大西優里亜、青柳潤)、オフィスマウンテン(飯塚大周、今井あこ、富髙有紗、堀越理子、宮﨑輝、宮崎玲奈、横田僚平)。
STスポットに入ると、入口側に客席が階段状に組まれ、舞台上にはリノリウムが敷かれていた。照明と音響も簡易的に仕込まれており、観客も満員。中間発表とはいえ、劇場でのショーケース公演のようなしっかりとした準備がなされている印象だった。
当日の流れとしては、まず各参加者による20分間の発表があり、そのあとキュレーターの康本とアーティストが舞台上で公開フィードバックをする。観客からの質疑応答もあった。2組目と3組目の間に1度休憩をはさむ以外は、14:30−18:15までみっちりと行われた。参加費は無料、入退場自由。
各参加者の発表を康本がみたのは、オーディション以降今回が初めてで、この間、康本は参加者を対象にワークショップを数回行ったという。

ここまで書いただけでも、わたしたちチーム・チープロが参加した「ラボ20#22」(2020)の中間発表とはだいぶ雰囲気が違う。キュレーターや参加者によって、場のありかたがかわる、可変性のあるイベントが「ラボ20」なのだということを強く実感した。
以下、それぞれの作品とそのフィードバックについてのレポートを記す。なお、本レポートはチーム・チープロの松本と西本の共著となっている。執筆プロセスとしては、まず中間発表の鑑賞直後に二人で振り返りをしてそれぞれの作品のポイントを共有する作業を行い、それを踏まえてそれぞれが分担して執筆、さらにそれらをお互いに読んでコメントしあい、修正するという仕方で進めた。

1. 遠藤七海『婆美肉考(仮)』
結婚行進曲、割烹着、映画『2001年宇宙の旅』(1968)、細かい足の動き、トリシャ・ブラウンの『Accumulation』(1971)、椅子、おばあさんの部屋着、おばあさんの身体、バービー人形、人形を背負って歩く身振り(姨捨?子どもの記憶?)、ショーダンス、ワンピース、映画『バービー』(2023)、そしてバーチャル空間における美少女の「受肉」を意味する「バ美肉」に着想を得ていると思われるタイトル、「バ美/婆美」と「バービー」の音の共有…。遠藤七海『婆美肉考(仮)』は、記号的なモチーフをふんだんにとりいれた5つのシーンから構成されていた。衣装もシーンごとに変化していく。「婆美」と「バービー」の対比からは「老いた身体」と「規範的な美の身体」の対比も考えさせられる。もっとも印象的だったのはおばあさんと思わしき人物をじっくりとトレースするシーンで、椅子に座ったときの身体と表情の「ゆるみ」にぞくっとした。
上演後のフィードバックで明らかになったのは、この作品は同居している認知症の祖母との距離感がテーマとなっているということだった。それにたいして康本は、祖母のトレースによって祖母を表出させることは必ずしも「祖母との距離感」を扱っていることにはならないのではないか、という点を指摘した。自身の祖母との距離感という非常に個別的な問いに向き合う切実さと、バービー人形をはじめとする記号を次々に纏いながら「婆」をトレース/上演するというアプローチはどのように結びつくのか。それとも結びつくことなくまったく別の可能性へと開かれてゆくのか。さまざまなアイデアが散りばめられた今回の中間発表から、最終発表ではダンスピースとしてどのように展開されるのだろうか。
(西本)

2. 天野朝陽『煙る母性』
天野朝陽『煙る母性』は前半と後半で異なるイメージが扱われていた。前半では1964年オリンピックに関するラジオ音声と、アジア・太平洋戦争中の戦況報告と思われるラジオ音声がミックスされた音源とともに、天野は器械体操のような動きをしなやかにかつ力強く披露していく。その最後には玉音放送が流れる。後半では子どもの声の音源とともに、仄かな灯のもとでパフォーマンスを行うのだが、その過程で一瞬「母」を思わせるような、繊細な手の身振りを介在させた。
オリンピックと戦時中のラジオ音声の重なりあいは幻の1940年東京オリンピックを想起させ、器械体操的な動きは規律化された身体、軍国主義教育といったものを連想させた。そして後半の母と子どものイメージは、父/父権に対比される批評的な存在としての母/女性性や子ども(の自由)を想像させた。ただ、規律化された身体=父と母(性)の組み合わせはやや危うさもあるだろう。つまり、両者は相補的に戦時下の国民動員を支えたからである。
フィードバックにおいて天野自身はこの作品が養老孟司の脳化社会論を背景に思考の支配下にある身体の解放を目指していると語った。それにたいして観客からは、前半のラジオ音声についてのコメントや質問が寄せられた。そこでのやり取りから、この作品が纏う政治性や歴史性、タイトルに含まれる「母」が呼び込む文脈はそこまで強く意図されたものではなかったのではないかということが伺えた。「ラボ20」という場所で天野が意図することとは別の論点が浮上したのであり、(康本からも同様のことが提示されたが)それを踏まえて天野がどのような選択をなし、取り組んでいくのか。スリリングな点だと感じた。
(西本)

3. AtannT『LIVE MOVIE』
AtannT『LIVE MOVIE』は、大西優里亜と青柳潤によるデュオの作品。舞台上中央に垂直に立つ四角いフレームが印象的で、そのフレームを挟んでふたりが位置関係を変化させていく。フレームは境界線や鏡やモニターや窓など、ふたりを媒介する何かを想起させるが、その関係はわかりやすいドラマとして展開されるわけでもない。抽象化されて切り取られたふたりの日常風景のようななにかが断続的に目の前を流れていく。
今回ふたりが試みているのは映画の予告編として使用される「トレーラー」のようなダンス作品だという。それに対して観客からはまず映像をどのように身体化し、舞台表現と接続していたのかという質問が挙がった。その後、映像のなかでも特にトレーラーに着目したことについての議論が続いた。映画のトレーラーが数時間ある作品のいいところを切り取ってリミックスした映像なのだとしたら、「3時間の作品を作り、そのトレーラーとして20分を提出するのはどうか」「映像上のタイムラインを編集するように3時間踊った後の身体を上演の冒頭に挿入し、そのあと上演開始1分後の身体に接続するといったことも可能なのだろうか」という具体的な作業についての提案もあった。
人の目をひくためにつくるトレーラーに着想をえて、舞台をつくるというアイデアは興味深いと思った。映像における時間の編集作業を舞台という持続している時空間において行うことができるのか、しかも時間を示す物語的展開がない、風景のようなダンスを素材とする場合なにが起きるのだろうか。全く想像がつかないがゆえに気になる。
(松本)

4. オフィスマウンテン『トリオの踊り』
オフィスマウンテン『トリオの踊り』は、山縣太一作の戯曲『トリオの踊り』を7人の出演者でフル上演。当日パンフレットに振付・演出オフィスマウンテンと書かれているように、上演をになう7人それぞれの身体が戯曲の言葉と緻密でルーズな関係をもちながら空間を作っていく。
フィードバックでは、演劇として作品の制作・発表をしているオフィスマウンテンが今回20分のダンス作品をつくる場である「ラボ20」で『トリオの踊り』を制作・上演することについて、康本から質問があった。出演者たちからは「これまで3人で30-40分くらいで上演をしてきた戯曲ですが、今回は出演者を7人に増やし、20分で戯曲を全部上演することにしました」と応答があった。
3人版の『トリオの踊り』を何度かワイキキスタジオで拝見しているのだが、随分見え方が違うと思ったし同じことをやっているとは思わなかった。そしてそれは、空間や人数が違うことはもちろん、設定としてダンスショーケースの一作品としてあるという状況も関わっていると思った。フィードバックの時間は、今回のこのトライから「ダンス」をどう考えるか、キュレーター、観客、作り手、会場みなで頭を悩ませた時間だったと思う。「「ダンス」について個々人の考えはバラバラですが、言葉と身体の関係について考え、トライすることを通して「ダンス」について考えたいです。」と「ラボ20」のWEBページに掲載されているオフィスマウンテンのプロフィールには書かれている。7人の身体が、「ラボ20」というダンス作品をつくる場にどのような挑戦を仕掛けてくるのだろうか。
(松本)

おわりに
最後に、キュレーターの康本が意識しているであろうことについて、感じたことを記しておきたい。WEBページにある康本による「オーディション総評」からは、「ダンスとはなにか?」ということについての繊細な問いとともに、「ダンスを創ること」そして「ダンスを見せること」とはなんなのかということへの意識を感じることができる。そのスタンスは、中間発表でのフィードバックでも示されていたように思う。つまり、コンセプトを立てつつも、記号的な配置にとどめず、いかに身体や踊りがせり立つ瞬間を準備するのか。そして、作品を観客にどう届けるのか。そのために20分という時間において舞台をどう構成するのか。そういった視点からのコメントが多く見られた。
作品創作のプロセスをコントロールし切らず偶発性や未知性を楽しむことや作り手と受け手のあいだのズレや齟齬を容認することと、作品を客観視すること(「客観」という言葉は康本から、中間発表の最後の方で提示された言葉だった)のバランスは容易ならざるものである。なおかつ作品に「ダンス」という言葉を与えることで生じる窮屈さや可能性も答えのない問いである。この困難を「ラボ20#24」の参加者がどのように引き受け、あるいはいなし、最終発表に向けてどのような時間を過ごすのか。どのような時間をデザインするのか。期待とともに待ちたい。


執筆:チーム・チープロ
パフォーマンス・ユニット。現在は松本奈々子と西本健吾が共同で主宰する。作品ごとに構成するチームによって、身体や身振りの批評性をテーマとした舞台作品の制作を行う。近年の作品に『皇居ランニングマン』(2019-2020、ラボ20#22参加)、KYOTO EXPERIMENT で発表した『京都イマジナリー・ワルツ』(2021)や『女人四股ダンス』(2022)、『nanako by nanako』(2024)などがある。具体的な場所や歴史的事象の綿密なリサーチを重ねてステップを掬い出し、それをめぐって立ち上がる複数のコンテクストやパフォーマーの身体感覚と記憶を、ダンスと交差させて作品を編み上げ観客と共有することを試みてきた。振付・構成を松本と西本が共同で行い、出演を松本が担当。ラボ20#22(2020)に参加。
WEB:https://flicker-gastonia-308.notion.site/team-chiipro-ebcd495eb9e84e24b00b6bb820eca4b0

【公演情報】
「ラボ20#24」
2025年2月27日(木)ー3月1日(土)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=13357

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