2009.7.2
ラボ20 #21 ラボ・アワード発表!!
6月20~21日に行われたST Spot主催 ラボ20 #21 にご来場いただきまして、まことにありがとうございました。出演者にとって、大きなチャレンジとなった本公演も無事終了し、次のフェーズに向けさらに邁進していおります。さて、この度キュレーター手塚夏子氏よりラボ・アワード受賞者決定及び、それぞれの作品についてのコメントが届きましたので、ここにご報告致します。
6月20~21日に行われたST Spot主催 ラボ20 #21 にご来場いただきまして、まことにありがとうございました。出演者にとって、大きなチャレンジとなった本公演も無事終了し、次のフェーズに向けさらに邁進していおります。さて、この度キュレーター手塚夏子氏よりラボ・アワード受賞者決定及び、それぞれの作品についてのコメントが届きましたので、ここにご報告致します。
【ラボ・アワード受賞者】
井上大輔『百年の身体』
石田陽介+松原東洋『二人は雲の中』
【全体評】
今回は、自分が「感じている事」に向き合い続けましょう、というようなことを言い続けていましたね。舞台の上で、生まれ続けるように居る、深い実感が動きを生み続けているようにということも言いました。それは、やっていて自分で鈍感になりやすいポイントかもしれません。私とのコミュニケーションを通して皆さんその部分に少しずつ挑んでくださったことがうれしかったし、それによってハッとするような瞬間に何度も出会いました。それから一週間以上経って、新たに思い至る事がいくつかありました。
自覚的な欲求と潜在的な欲求は必ず矛盾しています。自覚的な欲求に縛られないようにするには、自分の欲求に問いかけるしかないかもしれません。または、欲求と反対の事をするとか、一箇所にとどまり続けずに、押してダメなら引いてみるという精神がとても大切です。試行錯誤は、ある程度精神力がいります。リラックスも必要です。そういう状況をつくるにはどうしたらいいか、自分の状況自体を自分で旨く開拓して行く、自力で何もかもやるということでなく、例えば誰かと合うとリラックスするとか。
また、「自分という体が作品」という次元を逸脱することが、本当の意味での「作品性」に近づく事だと感じました。ソロであっても、自分の中に構造を見つける。自分に対しての批評性を持つ、コントラストを利用する事で、認識する。自分の視点いくつか持つことによって、物事が立体的に見えて来ると思います。
そして、転んだり、恥をかいたりする体力をつけましょう。自分に批評性をもつことができると、本当の意味で自分を信じる力がつくのかもしれません。私自身にとっての課題でもありますが。
私は、誰かに対して教育とか与えるとかそういうことではなく、自分に突きつけたり、何かを見いだすことにキュレーターの意義を見いだせると強く感じました。ありがとうございました。
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【個別評】
井上大輔 『百年の身体』
オーディション、ゲネも含めて、圧倒的に私の心身を巻き込んでしまう瞬間があり、根本的に力のあるダンサーだと思います。ただ、作品性という意味ではまだ生まれたてで、これは状況的にソロ作品を作るのが初めてであることを考えると当然と思えます。アワードをとることが、「評価されるかどうか」ということに過敏になるきっかけにならない事を切に願います。評価される事より、転ぶ事、恥をかくこと、それらの繰り返しから学ぶこと、開き直る事、自分を批評することを含めて自分を信じる事、が本当に大切です。他者の評価というのは、相対的なものです。そこに違いがあって、その違いから何かを読み取るということ以外に当てにしないようにして欲しいです。
石田陽介+松原東洋 『二人は雲の中』
「見えない物が動くのを見る」という私にとって新しい指標を与えて下さいました。本当に感謝しています。それは石田さんが意図した事ではないかもしれませんね。しかし、私は自分が見たいと思うものに対してどん欲になるという以外に、キュレーターの意味を見いだせないという気がしています。石田さんに聞いていただきたい事は、「意図したこと」以上に「意図からはみ出した事」に面白さを見いだすような柔軟さが、必ず必要だという事です。自分の意図に集中するのは良く分かります。しかし同時に意図に対する批評性が必要です。自分の作品から少し離れてみる、それは「客観」とは違います。自分の中に構造を持つということです。言っている意味が分からなかったらまた直接話しましょう。最後に、最終回の洗練された最後のシーンはすばらしかったです。しかし、オーディションから何回も見て、洗練されていない模索中の最初の頃の体が、私は個人的に好きです。それは、「ダンス」というものに対する新しい指標だと私は感じています。
辻田暁 『ガジルニジム』
自分にとっての指標が見えなくなったと感じているときは、指標が変化する兆しである可能性があります。だから、今まで出来ていた事ができないと感じる時は、実はチャンスです。しかしこういう捉え方はとても精神力がいります。今回は難しいタイミングで、厳しいことも言いましたが、何か問題意識が心の底の方にある時に、ないことにせず向き合って欲しかったのです。目をそらして、それらしく創ることをして欲しくないということで、それは私自身にとっても実は難しいことです。いまだに目をそらす事もあります。しかし、見据えてしまえば、新たな挑戦にただ一歩ずつ挑むばかりで、そのことを楽しいと思えるならば活動を続けて行く事ができるのだと思います。
下司尚実 『ピンポンダッシュ リターンダッシュ』
編集するということと、実感するということを拮抗させたまま両立させるというのが難しいですが、そのことを伝え続けたつもりです。私にとってはいわゆる「演技」というものがおもしろがれないので、踊ってる自分が作品に踊らされてるという感じがするにはどういう作業が必要なのかを、考えてみて欲しいと思います。それはコンディションによりますが、自分のコンディションに向き合うこと、感じていることに向き合って、調整する事が技術の全てです。
柴田恵美 『DYEE』
「演出意図」というのはそれが見えてしまうと冷めてしまうものです。リハの段階で、「欲求が見えない」と言いましたが、むしろ、自覚的な欲求に足を取られて、潜在的な欲求のエネルギーを途切れさせていたのかもしれないとも思いました。それは自分で自分を疑う作業をするということで、その力が小さいうちは、あまりに人の判断を、自分の判断基準にするのは危険だと思いました。それをとにかく止めないと、自力で作品を推敲して行く事がやりづらいと思いました。精神力が必要ですが、自分で自分に問い、問題意識に目をつむらないということを繰り返すならば、必ず自分だけの指標が見えてきます。その力を鍛えて欲しいという気持ちです。
井上大輔『百年の身体』
石田陽介+松原東洋『二人は雲の中』
【全体評】
今回は、自分が「感じている事」に向き合い続けましょう、というようなことを言い続けていましたね。舞台の上で、生まれ続けるように居る、深い実感が動きを生み続けているようにということも言いました。それは、やっていて自分で鈍感になりやすいポイントかもしれません。私とのコミュニケーションを通して皆さんその部分に少しずつ挑んでくださったことがうれしかったし、それによってハッとするような瞬間に何度も出会いました。それから一週間以上経って、新たに思い至る事がいくつかありました。
自覚的な欲求と潜在的な欲求は必ず矛盾しています。自覚的な欲求に縛られないようにするには、自分の欲求に問いかけるしかないかもしれません。または、欲求と反対の事をするとか、一箇所にとどまり続けずに、押してダメなら引いてみるという精神がとても大切です。試行錯誤は、ある程度精神力がいります。リラックスも必要です。そういう状況をつくるにはどうしたらいいか、自分の状況自体を自分で旨く開拓して行く、自力で何もかもやるということでなく、例えば誰かと合うとリラックスするとか。
また、「自分という体が作品」という次元を逸脱することが、本当の意味での「作品性」に近づく事だと感じました。ソロであっても、自分の中に構造を見つける。自分に対しての批評性を持つ、コントラストを利用する事で、認識する。自分の視点いくつか持つことによって、物事が立体的に見えて来ると思います。
そして、転んだり、恥をかいたりする体力をつけましょう。自分に批評性をもつことができると、本当の意味で自分を信じる力がつくのかもしれません。私自身にとっての課題でもありますが。
私は、誰かに対して教育とか与えるとかそういうことではなく、自分に突きつけたり、何かを見いだすことにキュレーターの意義を見いだせると強く感じました。ありがとうございました。
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【個別評】
井上大輔 『百年の身体』
オーディション、ゲネも含めて、圧倒的に私の心身を巻き込んでしまう瞬間があり、根本的に力のあるダンサーだと思います。ただ、作品性という意味ではまだ生まれたてで、これは状況的にソロ作品を作るのが初めてであることを考えると当然と思えます。アワードをとることが、「評価されるかどうか」ということに過敏になるきっかけにならない事を切に願います。評価される事より、転ぶ事、恥をかくこと、それらの繰り返しから学ぶこと、開き直る事、自分を批評することを含めて自分を信じる事、が本当に大切です。他者の評価というのは、相対的なものです。そこに違いがあって、その違いから何かを読み取るということ以外に当てにしないようにして欲しいです。
石田陽介+松原東洋 『二人は雲の中』
「見えない物が動くのを見る」という私にとって新しい指標を与えて下さいました。本当に感謝しています。それは石田さんが意図した事ではないかもしれませんね。しかし、私は自分が見たいと思うものに対してどん欲になるという以外に、キュレーターの意味を見いだせないという気がしています。石田さんに聞いていただきたい事は、「意図したこと」以上に「意図からはみ出した事」に面白さを見いだすような柔軟さが、必ず必要だという事です。自分の意図に集中するのは良く分かります。しかし同時に意図に対する批評性が必要です。自分の作品から少し離れてみる、それは「客観」とは違います。自分の中に構造を持つということです。言っている意味が分からなかったらまた直接話しましょう。最後に、最終回の洗練された最後のシーンはすばらしかったです。しかし、オーディションから何回も見て、洗練されていない模索中の最初の頃の体が、私は個人的に好きです。それは、「ダンス」というものに対する新しい指標だと私は感じています。
辻田暁 『ガジルニジム』
自分にとっての指標が見えなくなったと感じているときは、指標が変化する兆しである可能性があります。だから、今まで出来ていた事ができないと感じる時は、実はチャンスです。しかしこういう捉え方はとても精神力がいります。今回は難しいタイミングで、厳しいことも言いましたが、何か問題意識が心の底の方にある時に、ないことにせず向き合って欲しかったのです。目をそらして、それらしく創ることをして欲しくないということで、それは私自身にとっても実は難しいことです。いまだに目をそらす事もあります。しかし、見据えてしまえば、新たな挑戦にただ一歩ずつ挑むばかりで、そのことを楽しいと思えるならば活動を続けて行く事ができるのだと思います。
下司尚実 『ピンポンダッシュ リターンダッシュ』
編集するということと、実感するということを拮抗させたまま両立させるというのが難しいですが、そのことを伝え続けたつもりです。私にとってはいわゆる「演技」というものがおもしろがれないので、踊ってる自分が作品に踊らされてるという感じがするにはどういう作業が必要なのかを、考えてみて欲しいと思います。それはコンディションによりますが、自分のコンディションに向き合うこと、感じていることに向き合って、調整する事が技術の全てです。
柴田恵美 『DYEE』
「演出意図」というのはそれが見えてしまうと冷めてしまうものです。リハの段階で、「欲求が見えない」と言いましたが、むしろ、自覚的な欲求に足を取られて、潜在的な欲求のエネルギーを途切れさせていたのかもしれないとも思いました。それは自分で自分を疑う作業をするということで、その力が小さいうちは、あまりに人の判断を、自分の判断基準にするのは危険だと思いました。それをとにかく止めないと、自力で作品を推敲して行く事がやりづらいと思いました。精神力が必要ですが、自分で自分に問い、問題意識に目をつむらないということを繰り返すならば、必ず自分だけの指標が見えてきます。その力を鍛えて欲しいという気持ちです。




