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STスポット国際恊働製作2014-2015レポート|2015年2月

2015年2月25日(水)15:40アーカイブ

STスポットでは今年度、公益財団法人セゾン文化財団の助成を受け、北イタリアを中心とした若手制作者集団PlanTSと共同し山下残さんのレジデンスをイタリアのウディーネで行いました。またポーランドの若手振付家のレナータ・ピオトロスカさんを日本に招き、日本のダンサーの政岡由衣子さんと交流を重ね日本でのインスタレーションの滞在製作とソロ作品のプレゼンテーションを行いました。その模様を山下さんと政岡さんのレポートを交えご紹介します。
【山下残イタリア滞在レポート】

山下残(振付家)

2014年7月20日から8月5日にかけてイタリア北部に滞在する。

これは、2013年にセゾン文化財団のヴィジティング・フェローで来日したエリザベッタ・ビザーロが発案人になり現地のダンスカンパニーやアートプロジェクトオーガニゼーション、そして横浜のSTスポットの協力のもと、RE-MAPPING EAST というタイトルで立ち上げられたレジデンスプロジェクトである。

以下は滞在期間中の日記。

7月20日(日)

Veneziaから電車で2時間、イタリア北部Udine到着。街の第一印象は日曜日だということもあり静かだけどアイスクリーム店だけは人が大勢賑わっている。Udineの隣町Cividaleで行われている音楽とか映画とか舞台芸術のフェスティバル mittelefest へ。スタジオを借りることになっているカンパニーAreareaの野外ダンス作品を観る。

7月21日(月)

金曜日にパフォーマンスをすることになっているSant’ Osvaldo公園へ。近寄るのも注意されるくらい立ち入り禁止の建物が多い。パフォーマンスに使えそうなオブジェはあちこちに散乱している。ここは100年くらい歴史がある精神病棟で、戦時中は軍隊が管理をし、現在も精神病患者のリハビリ施設として使われている。過去に大きな爆発事故があったりするなど地元の人には若干近寄りがたい場所のようであり、緑の多い敷地を開かれたものにするために、病棟施設の管理者と地元のアートプロジェクトオーガニゼーションが協力して美術ワークショップなどを定期的に企画している。

7月22日(火)

パフォーマンスで日本語を使うため、イタリア語字幕の翻訳とオペレートをお願いするTrieste在住のコントラバス奏者・原田さんに会う。夜はmittelfest へ。多国籍・多分野アーティストグループThe Loose Collectiveの公演(エリザベッタが仕事しているパリの劇場もコプロダクションとして参加している)を、観る予定が野外劇場で雨天中止。中止になった後の飲み会に参加させてもらう。Cividaleでの公演は本日のみだったので、中止後の飲み会の何とも言えない残念な空気は、ヨーロッパの多方面から集まって構成された多様な人たちの雰囲気と相まって、このような状況に身を置くことはあまりないなと思わせる、気まずくもあり楽しくもある独特な体験だった。帰りがけ、コプロダクションしているエリザベッタに、本人たちには直接聞けなかったことを聞いた。あの人たち公演中止になったけどギャラはどうなるのでしょう?大丈夫、雨で公演中止になってもちゃんとギャラは出る契約になっているとのこと。

7月23日(水)

スタジオにこもり、明後日のパフォーマンスの準備。夜は再びmittelfest へ。今まで日本でも観たことがなかったJan Fabreの公演と、イタリアの振付家Simona Bertozziの公演を観る。夜は肌寒く街の教会の0時の鐘と同時に演目は終演した。Jan FabreのAttends, attends, attends…は2014年に観た舞台の中でも好きな作品の上位に入る。Simona Bertozziの作品に不思議な存在感で気になるダンサーがいて、エリザベッタに感想伝えたら、私はああいうダンサー好きじゃないと言った。

7月24日(木)

原田さんのイタリア語翻訳をもとにスタジオにてリハーサル。イタリア語で蚊(mosquito)はzanzaraであるということを知る。明日上演を予定しているのは「大行進」という作品で、その中に「私の名前は山下残です。」と言ってから手を叩いて「蚊がいますよ。」と観客に注意を促すワンシーンがある。今まで解釈不能なシーンだったけど、私はzan yamashitaでzanzaraがいますよ、という新たな意味のレイヤーがイタリアバージョンで加わった。明日雨天ならカンパニーAreareaのスタジオにて、晴天なら予定通りSant’ Osvaldo公園にて、どちらの場合にも備えて照明機材やプロジェクターなどの準備をする。

7月25日(金)

晴天。日が暮れてからの21時半パフォーマンス開演。地元の新聞にも宣伝が行き届き、観客もたくさん来てくれて良い反応だった。朝からパフォーマンスに必要な廃材などを会場周辺で拾い集める。許可を得て廃墟に入れば不思議なものがたくさん放置してある。一番の大物はカバーの外れた乗用車の骸骨。リハビリ施設の患者さんも運ぶのを手伝ってくれる。患者さんのひとりが僕にサインをくれと言って公演のチラシにサインをしたら、そのままサインを受け取らずにどこか行ってしまった。遅い時間の開演なので、夕方に現地スタッフのみんなと施設内にあるレストランで食事会。イタリア人はメニューをオーダーするとき真剣になる。長いテーブルがセッティングされて、それまで和気あいあいとしていた空気が突然食事をチョイスする段階で静まり返った。全員がメニュー表を顔の前に突き合せ、美しい花が並ぶ長テーブルの光景はいつまでも忘れない。

公演「大行進イタリアバージョン」本番。自分のリズムと間で、最後まで観客の目を引き付けることができたと思う。高いところに登る用に備えていた古い木製の梯子が、上る途中で粉々に崩れて自分もズルズル滑り落ち、観客の笑いを誘った。

7月26日(土)

イタリアまで来てホテルにこもるのは罪悪感にかられるけど外は激しい雷雨。夜は再びmittelfest へ。イタリアの振付家Tommaso Monzaがカザフスタンをリサーチして現地のアーティストと共同で制作したダンス作品を観る。終演後に振付家と少しお話しする機会をもらう。カザフスタンでコンテンポラリーダンスとか作るのは本当にたいへんらしい。ただしヨーロッパにも嫌気がさしているらしい。

7月27日(日)

Udineの街をはじめてゆっくり散策。美術館とか城とか。夜は再び mittelfest へ。オランダのScapino Ballet Companyは天候のため急遽公演場所をCividaleの野外劇場からUdineの屋内劇場に変更。フェスティバルといえば街自慢でもあるから主催者は無念だったと推測する。それくらい今夏の気象は例年と比べて異常らしい。Udineはエリザベッタの故郷で、この日コンテンポラリーダンスが大嫌いなお母さんをScapino Ballet なら大丈夫かなということで連れてきた。結果後日お母さんの感想をエリザベッタに聞いたら、やっぱり厳しかったらしい。

7月28日(月)

スタジオにてミーティングする予定だったアーティストが待っても来ない。暇つぶしにスタジオの隅に置いてあった、書を捨てて街へ出よ的な特集をしているイタリアの英訳付きの雑誌を読む。様々なアーティストのサイトスペシフィックワークを紹介している。世間に情報は膨大にあるから、こういう時に、例えばレジデンス期間中のぽっかり空いた暇な時に、何気なく出会う情報が意外と今後の役に立つ。今日も雷雨。

7月29日(火)

Udine周辺に住むパフォーミングアーツにも興味がある美術作家10人くらいに集まってもらいプレゼンテーションのエクスチェンジ。馬を調教するとか、縄で自分の体縛るとか、灰で床にドローイングして来場者が歩いたら作品が消えるとか、いろいろな人がいる。こういう時に自分もガツンとインパクトのあるプレゼンをしたいけど、準備不足もあり上手く話せなくて、終わってから反省するばかり。夜はエリザベッタの同僚ヴァレリアの親父さんの家にて先週のパフォーマンスの打ち上げも兼ねた夕食会。初めて会う人も何人かいて、紹介してもらいながらの話題の中に彼はハンガリアンマイノリティだとか、彼女はオーストリアンマイノリティだとか、この民族的なマイノリティーを名刺代わりにして友人同士で交流する姿は日本にいるとあまり体験することができない。ヴァレリアの親父さんは弁護士をリタイアして自分で作った家に犬と一緒に住んでいる。

7月30日(水)

Colonosというアーティストインレジデンス の施設を訪問。ここはフリウリ語という少数派言語を使うフリウーリ地方。Udine自体街中の表記がイタリア語とフリウリ語の二か国表記ということらしいが街にいるとあまり気付かない。そもそもイタリア語がわからないから見分けがつかない。しかしColonosのある田舎の方に行けば数少ない看板の中に確実に同じ意味の言葉が二つ表記されているのが見てわかる。特にこのColonos周辺地域はフリウリ語の文化保存に力を入れている。地域の住民は自らのファーストランゲージを大切に使いながら公用語のイタリア語も話す。この日はフリウリ語の詩の朗読会が行なわれていた。施設のオーナーにAkio Suzukiを知っているか?と聞かれた。以前ここで素晴らしいパフォーマンスをしたらしい。アキニャン?と言いそうになったけど言わなかった。

7月31日(木)

スロベニアとの国境沿いの街Goriziaへ。14世紀に建てられた城の要塞を、ある部分はリノベーション、ある部分はそのまま、美術館&ホテルとして使っている PALAZZO LANTIERI という施設を見学。絵画や彫刻など作品がそれぞれの部屋に充満するくらい陳列されて、建物の古い壁画などもそのままのこっているから、何が新しくてどれが古いのかわからない。代々続く家系のオーナーが「この部屋の中に現代美術が紛れています。さてどれでしょう?」とか言いながら嬉しそうに案内してくれる。夜Udineに戻ってFranz Ferdinandのライブを城の野外広場で観た。

8月1日(金)

初日にCividaleで観たカンパニーAreareaの野外ダンス作品がUdine市街でも行われるというので観に行く。Udineでのレジデンスの受け入れ先になってくれた現地のオーガニゼーションのエレナさんとエレナさんの友達たちと飲みに行く。みんな日本のことに詳しい。広場で結婚式のパティ—が行われていて、心地良いUdine最後の夜だった。

8月2日(土)

Udineから電車で一時間半、観光地になるべきなのにみんなVeneziaに行くから穴場になってしまっている素敵な港町Triesteへ。ダブルルームというギャラリーで食前酒会&Udineでの活動報告会。パフォーマンスは日本とイタリアでどう変わったかという質問には戸惑う。変わらないように上演するのが責任でもあるけど、変わりませんでしたと答えるのも違うし、実際変わったし、変わらないところに自分自身よかったと思える。でも何が変わったか聞きたいから質問してくれているのだと思うと言葉に詰まる。Triesteの第一印象はUdineより混沌としている。

8月3日(日)

ヴァレリアの親父さんがTriesteの港に停泊させているボートで海へ。アドリア海の最奥地スロベニアとイタリアの国境付近を航海。原田さんに海パンを借りてジャンプ。波がない上に塩分が濃いから、脱力したら簡単に水面に浮かぶ。

8月4日(月)

原田さんの車でスロベニアとイタリアの今日は陸の方の国境をドライブ。かつての風景についての想像をかきたてられる今は廃墟となったイタリア側とスロベニア側のふたつの検問所、巨大鍾乳洞、村の奥地のワインなど。夜エリザベッタやヴァレリアに会い今回のレジデンスの感謝を伝える。

8月5日(火)

Veneziaから夜の便で帰国。昨夜ヴァレリアの地元の友達が自分はイタリア語を母国語として話すけどイタリア人なのかはわからないと言っていたのが印象的だった。北イタリアに滞在して特に気になったのはマイノリティーのことについて。もちろんマイノリティーの言語や民族について今まで知らなかったわけではない。日本で接するマイノリティーというのはどこか蓋をして隠されそうになるのを、それにマイノリティーという言葉を使って抗っているようにも見える。北イタリアではマイノリティーの歴史が剥き出しで、そして生活の中でポジティブに存在する。性格が陽気だからか?短期間滞在しただけで自分が深いところをよくわかってないからか?当然アジアにも多様なマイノリティーは存在するから、再びコンテンポラリーアートの役割を考え直す良い機会のレジデンスになった。

※PlanTSとの共同製作は来年度も日本に舞台を移し、引き続き開催を予定しております。

【ポーランド若手振付家恊働企画レポート】

レナータ・ピオトロスカとの恊働作業「Untitled」を終えて
政岡由衣子(ダンサー)

㈰出会い

レナータ・ピオトロスカさんに初めて会ったのは2014年の冬です。彼女は横浜で行われていた芸術見本市TPAMに合わせて来日しワークショップを開講していました。彼女が行った「スコア・ワークショップ」は舞踊譜に着目し、どのようにそこからダンスを立ち上げるか、どのようにダンスを舞踊譜に落とし込めるか、といった趣旨のものでした。振付家/ダンサー、ダンサー/観客、あるいは近年よく観られるアーカイブ/振付家のように、いかにしてダンスを伝えるか、いかにしてダンスを受け取るかというのは実は非常に根本的な問いで、舞踊譜というアカデミックでマニアックなモチーフながら舞台芸術の根源にしっかりと触れているワークで非常に興味深いものでした。その1年後レナータから誘いを受け、2015年2月2日から一週間彼女のリサーチで恊働させてもらえることになりました。来日前には彼女の考えている事、それに対する私の感想などをメールで何通もやり取りし、既に彼女がこの作品について沢山時間を費やしていることが見受けられました。

㈫個人的な立場

私は19歳から23歳までオランダで舞踊教育を受けました。それまで日本ではクラシックバレエしかやっていなかったので、コンテンポラリーダンサーとしての第一歩はヨーロッパでした。4年間みっちり勉強し、沢山のヨーロッパ的価値観に触れて帰国したとき、日本のダンスシーンと自分の間には溝を感じました。そこから4年間はまた、日本のダンスを学ぶ時期だったといえます。公演を見てこの土地の評価軸に触れクラスやワークショップに通い、作品を作って発表しました。試行錯誤した挙句、2014年夏にダンスカンパニーBATIKに入団することができ、また自分のカンパニーまさおか式を立ち上げました。そんな個人的な激動を間に挟みつつレナータと再会しました。

㈬コンセプト

今回のテーマは空気。その経緯については沢山の説明がありました。まずアニミズム。レナータは「物にも人にも外身は違えど共通して魂が宿っている」という西欧には無い思想に興味を抱き、物と踊ることについて創作を重ねてきました。そして今回は物体ではないもの、空気に着目しました。身体の内側と外側を行き来する空気。ヨーロッパでは死ぬ間際の最後の呼吸で魂が身体から出て行くと考えられており、そこで彼女のアニミズムの観点と呼吸という行為がリンクし、呼吸をベースとしたムーブメント・リサーチに繋がりました。また、今回の特徴であったインスタレーションは舞台美術家のアンナ・ゴダノスカによって5日間かけてここ横浜STスポットで制作されたのですが、空気をどのように視覚化するかという試みでした。空間を埋め尽くす肺や心臓を彷彿とさせる造形の直径1m以上あるビニール袋たち。それらが換気扇によって空気を送り込まれることで膨らんだり萎んだりします。まるで物質も呼吸しているかのように。

㈭スタジオでのワーク

レナータとは何人か共通の知合いがいたからか、早くに打ち解けました。ヨーロッパでは比較的社交性に優れたアーティストが多いように思います。稽古のときは二人で急な坂スタジオを目指し、二人でスタジオに籠り、昼食をとり、劇場まで帰りました。

スタジオではまず15〜20分程おのおの自分の時間を過ごします。「この場所に到着するために時間を使って」と彼女が言っていたのが印象的です。その後、アシュタンガヨガでウォームアップします。ヨガでは呼吸と動きと精神を連動させるので、今回のようなリサーチの導入には最適でした。40分ほどウォームアップし、レナータから提案を受け、即興で動いていきます。

観念的なことから動くのではなく、具体的で身体的なタスクを設けたい、というのがレナータの考えでした。彼女はすでにポーランドでリサーチを始め、「肺の動き」「想像上の空気」「拡張とリリース」という3つの要素に的を絞ってきていたので、即興のタスクは「解剖学的に見ると肺は肋骨を支えているので肺の動きによって肋骨が動かされ、肋骨によって鎖骨、肩甲骨、腕まで連動するはず。その骨格的な繋がりを探して感じてみて」「もし自分の身体の内側に空気があるとしたらどんな動きになる?」「外の空気に触れる、あるいは動かされてみよう」などでした。いずれもタスクといえど、何かを遂行するのではなく結果の分からないことを私が試して見せたり、決して答えを限定せずに二人で見つける、という文字通りのリサーチでした。一つのタスクにつき1時間程度集中を切らすことなく動き続け、レナータは色々な角度からそれを観察し、何か思いついたときには私に語りかけて方向性をリードしていきました。どのような感覚を得たか、何にピンときたか、彼女にとって興味深かったことは何か、などを二人で話し合ってより深く探索する要素を選びとっていきました。

㈮オープンスタジオに向けて

私と彼女にとって難しかったのはこれを人前で見せることでした。リサーチしていく過程で、私たちが求めていることを毎回産み出すにはある程度の練習が必要だと分かったことと、オープンスタジオにはタイムスケジュールがあるので良い状態に持っていくまであまり長く時間をかけていられない、という点です。そこで、全て即興というのではなく少しだけ動きを決めてみることになりました。何種類かポーズを決めてそれを駅のように通過していくことで色んな意味での成功率を上げようという考えでした。この二つのタスクの共存には最終日まで取組みましたが結局上手くはいきませんでした。時期尚早に固めようとすることで何かを探し続ける探索心が削がれてしまった為だと思います。これは今回私が得た大きな収穫の一つなのですが、後ほど詳しく記します。

㈯インスタレーションとの関わり

オープンスタジオの前日、やっと完成した空間に入ってリハーサルを行いました。動く等身大インスタレーションとの関わりは想像以上に興味深く、新鮮なものでした。レナータはソロのリハーサルもあったので、宿題を渡されどのように「普通の人」の範疇でインスタレーションと空間的に関われるか、ということに1人で取組みました。目線の高さや対象物との距離を日常的な、あるいは微細な身体の変化で作りました。彼女は所謂「ダンス」的なものを毛嫌いしていて、それが何を指すのか具体的に説明するのは難しいですが、要するに一定の既視感のある身体的アプローチを安直で狭い世界の語彙と感じているのだと思います。ダンサーも人間である、という認識を社会的に勝ち取ろうとしているようにも見えます。若手クリエイター間でのそういった風潮は私がヨーロッパにいた2000年代後半にも既にありました。対して現在の日本では原点回帰の流れを個人的には感じています。ダンスから離れるのではなく純粋なダンスを追求している人が増えているし、観客もダンスのエクスタシーを求めている。特に震災以後に顕著な風潮のようにも思っています。
話しを戻し、私が決めたいくつかのポジションをレナータ、インスタレーションを制作したアンナや照明のジョアンナに見てもらいました。ここで驚いたのはレナータ以外の二人が非常に多くのフィードバックや提案をしたことです。彼女たちはレナータに言われたことを実現する職人ではなく、このプロジェクトに興味をもってコラボレーションしているアーティストなのだと実感しました。実際に空間構成に関してはアンナの意見をかなり尊重し、取り入れました。

㉀オープンスタジオ

45分間のオープンスタジオは、インスタレーションのショーイング、レナータによるコンセプトの説明、ムーブメント・マテリアルのショーイング、という三部構成で行いました。オープンスタジオというのは、公開稽古とワークインプログレスの間のようなもので、今回共通認識として「リサーチの結果を見せるけれど公演ではないので、完成品を見せるわけではない」ことを掲げていました。ショーイングの最中もレナータが気付いた事があれば普段の稽古同様に私に語りかけ、私自身も公演というよりリハーサルに向かうような心構えでした。最近でこそワークインプログレスという形式が日本にも根付いてきた感触がありますが、ドラマトゥルクのシステム然り、作品を成熟させる仕組みにおいてはまだまだヨーロッパに学べる部分が多いように思います。

実際にお客さんがいる前で1週間やってきたワークを見せた時、初回はなんだか上手くいかずに感覚をたぐり寄せるのに必死で終わってしまった感じでした。2回目が始まる前にレナータと話し、その中で「こんなワークやるの今日で最後なんだからそんなに真面目にならなくていいよ。自分のやりたいようにしてみたら。」と言われました。その一言がなにか引っかかり、2回目の最中にふとワークに対しての好奇心が芽生えました。それは初めてワークを行ったときにはあった何かでした。おそらく固めていくことに意識が向かい、好奇心をもって「リサーチ」することを怠っていたのです。言葉では分かっていても、その探し続ける姿勢を一瞬であれ身をもって体験できたのが今回の私の大きな収穫で、リサーチに主な焦点を当てているレナータとの作業だからこそ見えたものでした。新鮮さをもってタスクに取り組むのは即興だけでなく決まった振付けを踊るときにも非常に大切なことだと私は考えています。

㈷個人的な立場2

日本で踊る決心をし、日本のスタイルに4年間傾倒していた自分にとってはここで再び原点であるヨーロッパのやり方に触れられたことは意義深いものとなりました。例外は沢山あるので二つ(日本とヨーロッパ)をすっぱり分断して考えるのもどうかと思いますが、それでも分けざるを得ない部分はあります。因みにポーランドはヨーロッパの中ではコンテンポラリーダンス後進国であり、クラシックバレエや民族舞踊の方が圧倒的に栄えているそうですが、レナータはフランスで学んだこともあり非常に現代的なヨーロッパの作家であると私は認識しています。現在日本でトレーニングしている私の身体と思考は以前より繊細でコンパクトで重心が高く批評的で良くも悪くも人間らしさがあります。そんな日本の身体を通して見えたものは20歳の頃に見えていたものとは違い、多くの気付きを私にもたらしました。

私がここで言いたいのは、日本が遅れているとかそういうことではなく双方に「違いがある」ということです。違うから学びあえるし、違うから興味深い。またこのような文化交流はその土地に住んでしまうと立場が違ってしまうため、留学という形では実現しにくいように思います。今回は恊働のかたちだからこそ擦り合せの必要もなく自分の育んでいるものを軸に保ちながら異なる価値観に曝されることができました。こういった公演を前提としない恊働の機会がもっと若手アーティストにもたらされれば、日本のダンスの発展へと繋がるように思います。今回私のような無名の若手にこのような貴重な機会を与えて下さったSTスポットに深く感謝しています。

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