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【特集】20周年特別号寄稿文:手塚夏子(振付家/ダンサー)|2008年7月

2008年7月08日(火)16:56アーカイブ

STスポットで過ごした時間

私がSTスポットに足を踏み入れたのは今から七年ほども前のことではないだろうか?
孤独なソロ活動の最中で、作品を作る力も幼く、右も左も分からないまま暗闇の手探りが続いていた。
STスポットにスタッフとして関わることで、ダンスシーンで何が起きているのか、どんな人々がどのように関わっているのかを知る事が、その時のわたしにとっては必要だと感じていた。
ダンスのショーケース「ラボ20」では、出演者として参加する一方、その後スタッフとしての経験は何物にも代え難いものとなった。
オーディション、公開ディスカッション、リハーサル、ゲネ、本番まで、その過程を一部始終見る事によって、アーティストがどのように自分の欲求と向き合い、変容し、突き抜けていくのかを目の当たりにすることができたからだ。
また、あるアーティストが課題を抱えたまま本番を迎えるとしても、その課題に対して、乗り越えようとする姿そのものに、切実で胸がうたれる瞬間もある。
彼らはその先、本当に根っこのある作品作りをするアーティストになるであろうと確信した。
「ラボ20」で見たものは、完成した商品価値ではなく、アーティストが足下を掘り下げる、その方法を見いだそうとする瞬間に立ちあう至福感であったように思う。
また、「ラボ20」の優れた点は、アーティストがキュレーターを務めたという点であるように思う。それはプロデューサーや批評家が見る視点とは違う役割であった。
創作する過程での心理状況や切実さに、同じ視点で共感できるキュレーターが果たす役割はとても大きく、厳しさは深い所に響き創作の根本的な力なっていったように思う。
「ラボ20」のオーディションをたくさん見た感想として、本当に素敵な「マイノリティー」の部分を持った人々がなんてたくさん生きているのだろうと思った。
確かに、それを「普通」の人々が見た時には様々なギャップがあることだろう。
しかし、よく考えると本当に「普通」な人間というのは存在するのだろうか?
ダンスシーンも私がSTに関わった頃に比べて様変わりしてきたように思う。
「コンテンポラリーダンス」を認知する人も増え、舞台に足を運ぶお客さんもだいぶ増えたように思う。
ただ昨今では、そうした「マイノリティー」な部分を珍味な商品として扱う側面も感じる。
本当にアートとして役割を果たすのはもっと別の側面のように思う。
それは、どんな人も持っている深い部分のズレ、どんな人も持っているマイノリティーさに響きを与え、そこを風穴としてじわじわと世界に響いていくということだ。
私はそこに多様さの価値という物を見る。それはアーティスト一人一人が自分の欲求を深く掘り下げることができるかどうか、また、評価の声や逆風にあおられることなく、
自分の作業を信じる事が出来るかどうかにかかっているように思う。
同時代に生きる全てのアーティストにエールを送りたい。自分も含めて。


筆者プロフィール
手塚 夏子(てづかなつこ)
96年ソロ活動をはじめる。’01年1月、生きた自分の体を素材とし、実験を試みる作品「私的解剖実験」が誕生。同年夏、「私的解剖実験-2」にてトヨタコレオグラフィーアワードに出演。
03年以来、知的障碍者、一般の方々、ダンサー、俳優、音楽家などを対象にしたワークショップを行っている。’05年より、魅力的なアーティスト達の手法を自分も試す実験的な試み「道場破り企画」をスタート。
’05年5月以来、ニューヨーク、オーストラリア、ベルリン、ポーランドなどで作品を上演。 http://natsukote-info.blogspot.com/

※プロフィールは2008年7月時点のものです。

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