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フィジカルシアターカンパニーGERO新作公演 『言いたいだけ』 伊藤キムインタビュー|2017年12月

2017年12月11日(月)19:00STスポット

12月14日(木)~17日(日)にフィジカルシアターカンパニーGERO新作公演『言いたいだけ』がSTスポットで上演されます。そこでGEROを率いる伊藤キム氏にインタビューを行いました。
輝く未来からGEROのこと、そして言葉と身体のこと。
鑑賞前に是非お読みください!


-「伊藤キム+輝く未来」そして「輝く未来」を経て「GERO」を立ち上げたわけですが、集団創作のあり方も変化してきたように感じます。稽古を拝見していて、パフォーマーの自主性や作家性を重んじているように見えたのですが「GERO」はどのような集団を目指していますか?

僕が思う集団創作はかなりフラットな状態を指すので、GEROにおいて集団創作という意識はあまりないですね。ただ輝く未来の頃と全然違う点はありまして、メンバーに任せる部分は以前からありましたが、その頃は意見を聞く機会は少なかったと思います。でも今は、例えばタイトルやチラシのキャッチコピー、作品の構成など様々なことについて意見を聞いています。輝く未来はいわゆるダンスとしてやってたので伊藤キムのフィールドという意識が強かったのですが、GEROは演劇の要素が入っています。僕はあまり経験がないので、演劇経験のあるメンバーの考えていることを聞いたり、感触や価値基準をもらっています。以前はタイトルやキャッチコピー、構成も自分で決めていたのですが、もし今GEROではなくダンスカンパニーをやっていたとしても、同様の変化があったかもしれないですね。
今回の公演は3月頃から準備を始めて、7月に試演会を行って、さらに9月には鳥の演劇祭での上演を経ているので、出演者も客観視できるようになってきたのかもしれません。そのような過程を経て、今の稽古の環境になっているのだと思います。
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-GEROでは発声練習など、輝く未来時代にはなかった稽古のやり方など実験を繰り返しているように思うのですが、GEROが目指す身体性はありますか?

人の身体しかないところに何か別のものが見えてくるような、そういう身体性はあるかもしれません。身体をモノ化するというか。それは輝く未来の時からもやっていたことではあると思います。
輝く未来の時は、言葉を排した純粋な身体を見せるということが重要なポイントだったように思います。つまり無色透明の空っぽの器があって、そこに様々なものが入ることで色がついて、それがいなくなったらまた無職透明に戻る。それはとてもニュートラルな状態だと思います。なんでも受け入れられるというか。この状態を目指すために稽古を重ねるわけですよね。これを強固にしていって、いざ作品を作るという時に無色透明ではなくて真っ黒にしてみるとか、真っ黒にしてその舞台に立つというか。今まではそのように作品を創ってきたと思います。
ですが、GEROではあまりそういうことは考えていなくて。まだそこは旗揚げ以来ずっと模索していますね。

-GEROのパフォーマーを見ていると、言葉と身体の距離を自在に行き来しているような印象を受けます。それと、キムさんが言葉の不自由さを感じているような印象も受けました。

ハード編の「クロストーク」というシーンは身体を動かさないで座ったまま言葉を発して、対話が成り立っているのかいないのかちょっとわからないような、音を出す機械のような状態をやろうとしています。極端な言い方ですが、言葉が単なる遊び道具としてあるような。例えば踊っている時に汗が飛び散るように言葉がぱあっと飛び散るような。言葉を扱う演劇では作り手の思想や物語を提示するものという考え方もあると思うのですが、そこに疑問を持っていて、僕自身があまり言葉を信用していないというところもあるのかもしれません。言葉が意味という檻の中に閉じ込められているように感じていて、それを取り払いたいんです。GEROをやり始めてから、言葉のあり方がものすごく不自由に感じています。いろいろなところで言葉が一人歩きしているような。ネットなんかは特にそうですよね。ある人が放った言葉が違う捉え方をされたり、違う捉え方じゃなくてもどんどんどんどん広がっていって、大きな災いみたいなことになったりとか。みんな言葉の奴隷になっちゃっているなあって気がするんですよ。そういうのではない言葉の可能性を探りたいというのは強く思っています。コミュニケーションの手段として言葉があるはずなのに、道具が先走っていて、それに人間がずるずると引きずられるというか。そういう風に感じることがあるんですね。
でも、普段は言葉に不自由さを感じているわけではなく、むしろ文章書いたりは好きなんです。学生時代はあまり好きじゃなかったんですけど、読書感想文とか。
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-キムさんにとって身体と言葉はどのような関係にあると思いますか?

舞踏を始めて、ワークショップをやるようになって、そうするとわけのわからない身体の使い方を人に説明しなくちゃいけなくなる。で、そこで一生懸命いろんな比喩を考えるんですよ。〇〇のようなっていう比喩もあるけれど、暗喩のようなポーンと違うイメージだけを投げつけるやり方もあって、そうするといろいろな語彙を引っ張り出してこなくちゃいけなくなりますよね。結果的に自分の中にそれが少しずつ蓄積されていくのが面白いなって思って。だから僕は踊りを通じて言葉に出会ったという感覚がありますね。舞踏っていう得体の知れないものをいかに人に伝えていくかっていう、そこで言葉が使えるんだったら面白いなあと。そういう意味では言葉は好きなんです。言葉そのものの美しさだったり、持っている色合いやシャープさ、まろやかさ……に魅力を感じているのかもしれません。一つの意味に集約されない、様々な捉え方ができる状態に興味があるのだと思います。

-今作のハード編とソフト編の違いについて、教えてください。

ソフト編は軽めの内容でハード編はちょっと重めの内容っていうイメージだったのですが、今、案外そうでもなくなっています(笑)。ハード編はちょっと静かで重い、重厚なシリアスな感じ。言葉数がどちらかというと少ないです。ハード編よりも少し言葉が多くて、日常に近いのがソフト編です。
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-最後に、今作の意気込みを教えてください。

「言葉は世界を区切る道具だ」というようなことを養老孟司さんが言っていましたが、例えばペンを「これはペンだ」と言うことで、その物体を世界からペンとして切り取るというか。名前という言葉の服を着せるというか。僕たちはその服を着せられた状態で初めてそれが何であるかを知ることができて、服を着ていないとそれを認識できない。つまり、モノの実体の部分を認識できていない。GEROでやろうとしていることは、⾔葉が服のように何かのための道具としてではなく、それ⾃⾝として存在できないだろうか、ということなのかなと思います。

今、取り組んでいることは、言葉が長い社会の仕組みの中で、使い古される/使い尽くされた、もっというと蹂躙されているような言葉ではなく、生まれたばかりの純粋で新鮮な言葉を身体という楽器を通して奏でるということなのだと思います。身体から奏でられた言葉という音をまずは捉えてもらえるといいかなと思います。ただ、どうしても言葉が出てきた時点で私たちは意味を捉えようとするので、純粋に音として捉えるのはなかなか難しいことだと思います。そこを時間をかけて剥がしていきたいですね。そのとっかかりになるようなことをこの作品ではやりたいと思っています。

 

 

取材・構成:島崇


【公演情報】
GERO新作公演「言いたいだけ」
構成・演出・振付・出演:伊藤キム
出演:KEKE 後藤かおり 定行夏海 鈴木淳 八木光太郎 和田華子
日程:2017年12月14日 (木) ~2017年12月17日 (日)
詳細:https://stspot.jp/schedule/?p=4043

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